ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ほろ苦くも、味わい深く 〜「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」桜木紫乃

 沁みるなあ。

 感動した、と表すのはどこか違う。目の前に新しい世界が拓けたとか、魂が揺さぶられたなど、そんな大げさではないのです。読んで涙することもない。ただ、沁みるなあ。

 例えて言えば、大人には大人の癒され方があって、真夜中に一人で飲む酒が、美味しいほど悲しくなるような味わい。ややカッコ良過ぎますが、「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」(桜木紫乃、角川書店)は、そんな小説でした。

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 桜木さんは「ホテルローヤル」で2013年に直木賞を受賞し、昨年は「家族じまい」が中央公論文芸賞になっていますが、ベストセラーを連発するような派手な作家ではありません。

 でもわたしにとっては、新刊を見つけるとすぐに買ってしまう、数少ない一人なのです。たいてい明るい話ではなくて、北海道の厳しい気候と、その風土に生きる男と女の姿を描いた作品が多い。

 今回も、舞台は寒さ厳しい北海道、釧路のキャバレーとボロい従業員寮。主な登場人物は本の題名通り、アルバイトで照明係の年若い俺<章介>と、年末年始の舞台芸人としてやってきた師匠(マジシャン)、ブルーボーイ(おかまの歌手)、そして年増のストリッパーです。

 帯から引用すると『切ない事情を持ち寄って、不器用な四人が始めた共同生活』。

 キャバレーでの悲喜こもごもに、行き場のなかった父の遺骨をよその墓にちゃっかり「納骨」したりと、面白いエピソードがたっぷりあります。そして孤独を意識することもないほど孤独だった章介が、共同生活によって、人と人がつながることの難しさや悲しみ、喜びを初めて知る成長物語です。

 こうした骨格だけ紹介すると、何だか<ほっこり系>で本屋大賞なんかが似合いそうな作品にも見えますが、読みながらわたしが思ったのは「これ、本屋大賞の正反対にある小説だなあ」ということ。

 凡人の日常は一つひとつ、目の前の出来事に悩み、どうこだわるかで日々が過ぎていきます。桜木さんは地味な日常を、地味なまま描いて、きっちり味を出す作家です。

 その手の肌触りを持つ作品、ベストセラーになりにくい。苦味がある酒みたいなもので、だれもが好むというわけにはいかないのかもしれません。そもそも場末のキャバレーの話だし。

 まあ、どんな小説が本屋大賞向きなのか、人それぞれの思い込みなので、極めて勝手な決め付けです。もしこの小説が次の本屋大賞候補になったら、わたしは深く懺悔して、ひそかに祝杯をあげます。