ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

惨めなシンデレラとその後 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳その6

 5月の連休のころヤフオクで全10巻、1,000円で落札した瀬戸内寂聴訳「源氏物語」。併読本として年末までには読み終えようか...と、気軽に構えていました。

 ところが読み始めるとそれなりに深みにはまり、いまや年内の読了をほぼあきらめています。この大作が持つ力を、完全に見誤っていた。

 瀬戸内さんは、現代文へさすがの翻訳。意味を移し替えるだけなら国文学の専門家で事足りても、物語の空気感を伝えることができるのは現役の小説家しかないですね。だからこそ、これまでもそうそうたる作家たちが現代語訳に挑んできたのでしょう。

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 手元に、谷崎潤一郎訳「源氏物語」(昭和49年の7刷、中公文庫)があります。カバーに川端康成が「古今を通じて、日本の最高の小説で、現代にもこれに及ぶ小説はまだなく、十世紀に、このように近代的でもある小説が書かれたのは、世界の奇跡」と、書いています。

 受験勉強を兼ねて読み倒した当時、わたしは川端のこの一文を、PRを兼ねた半ば「お世辞」として素通りしました。今ごろになって、川端が書いた意味を考え直しています。

 ようやく源氏54帖中の31帖、「真木柱」まで辿り着きました。

 若く美しい玉鬘をわがものにした髭黒の大将。夫の愛情を失った彼の妻は、子を連れて強引に実家に戻ります。その時、髭黒の大将に可愛がられていた父親っ子の娘は(今なら小学校6年くらいの年ごろです)慣れ親しんだ部屋の真木柱の割れ目に、歌を詠んだ紙片を挟んで去ります。柱よ...

 われを忘るな と。

 この帖のタイトルはここから取られています。

 源氏物語の22帖からこの31帖までは「玉鬘十帖」とも呼ばれ、儚く死んだ美女・夕顔の娘である玉鬘をヒロインにした物語です。

 「源氏物語」中盤を構成する見事なストーリー展開で、テンポのいいつながりに引き込まれます。落ちぶれた家の娘・玉鬘が光源氏に引き取られるシンデレラ物語に始まり、世間的な幸福を得た後のシンデレラの苦悩をさまざまに描いて、確かにある意味「近代的」でもあります。

 研究者の中には、紫の上を軸にしたストーリーから離れることもあり、やや空気感が異なることから、後世に別の人物が書き加えたのではないか、と唱える人もいるようです。中国の「水滸伝」などは、そんなふうにして複数の書き手によって成立したのだし。

 そもそも「源氏物語」は紫式部一人が書いたのか?という問いは、根強くあります。

 千年前に著作権という考えはなく、印刷技術もありません。人から人へと書き写されたわけで、少々覚えのある教養人なら、脚色したり書き足したりする可能性は否定できません。

 しかしわたしには、「玉鬘十帖」を書いたのも紫式部だとしか思えない。これだけの完成度を持った中盤を展開できる書き手が、しかも無名の書き手が、他にいたとは想像し難いからです。

 一流の作家であれば、物語中盤での転調、そして後半への虎視眈々とした準備は定石。紫式部ならお手の物でしょう。また岩波刊の原文を読み(わたしのような素人が、どれほど千年前の文体をつかめるのか甚だ心許ないとはいえ)筆致に違和感を覚えません。

 

 さて、ネットで注文していた古本が届きました。岩波の新古典文学体系別巻「源氏物語索引」。ああ、これで、実はぐちゃぐちゃになっている頭の中が、少し整理できるかも。

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 今日は秋分の日。田舎住まいなので、草むらから虫の声がたくさん聴こえてきます。

 虫の鳴き声を愛でるのは日本人だけ...と、どこかで教わりました。明日からは、もう夜が長い。