ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

その女、魅力量りがたし 〜「和泉式部日記」

 <女>は世を儚み、日々打ちひしがれていました。愛し尽くした男が前年、若くして病死したからです。

 亡くなった男、実は妻帯者でした。おまけに将来は国のトップになったかもしれない皇族。一方で<女>の方にも、役人の夫と幼い娘がいました。許されぬ2人の相思相愛(今の言葉ならW不倫)が、スキャンダルとして世間の噂に上ったのは言うまでもありません。

 男の急死で毀誉褒貶は止み、残された<女>は静かに世を儚んでいました。

 ある日、彼女のもとへ一輪のたちばなの花が届きました。たちばなは、香りが「懐かしさ」を象徴する花。「和泉式部日記」は、顔見知りの童、死んだ男に仕えていたあの童が花を届けに現れるシーンから始まります。

 <女>は、恋の歌を詠んで名高い和泉式部。花を届けさせたのは愛した男の、弟でした。以下、この日記で語られるのは亡き男との愛の回想...。ではなく、兄の不倫相手に花を届けさせた弟との、新たな恋です。いやはや。

 

 平安時代の男女の関係は、歌と、歌に添えた片言のやり取りで進みます。スマホをにらみ、さりげなくも思わせぶりな会話をラインで交換する様子を思い浮かべてください。基本、やっていることは今も昔も同じ。

 スマホの代わりに童(仕える少年)が紙にしたためた言葉を運ぶ。時には届けた先で、さりげなく恋の相手の様子をたずねられたりします。どう答えるか、童にとっては自分の働きが仕事の評価につながるから必死だったでしょう。

 和泉式部はラインのやり取り...ではなくて、文による男への語りかけ、寄せられた思いに対するあしらい方が天才的でした。彼女は率直に、思わせぶりに、斬新な言葉で心のうちを詠む天性の詩人。

 和泉式部と同時代を生きた2人の才女がいます。「源氏物語」の紫式部と、「枕草子」の清少納言です。

 紫式部がライバルの女房たちを評した、有名な一節が「紫式部日記」にあります。そこでは、清少納言に関してかなり辛辣。和泉式部についても辛口ですが、「ときにのぞく才能に関して、悔しいけど認めるしかないわね」みたいなくだりがあります。

 

 和泉は、けしからぬ方こそあれ(和泉式部って、男関係はだらしないけど)

 うちとけて文はしり書きたるに(男に出したちょっとした文には)

 その才(ざえ)ある人(言葉の才能が見えて)

 はかないことばのにほいも見え侍るめり(さりげない言葉使いにも人を惹きつける香りがあるのよね)

 肝心の歌の方もまあまあ...と、紫式部のライバル評は続きます。

 詩人としての和泉式部の才能は、言い寄る男たちに対して発揮されたわけだから、夢中になる男が出てくるのは当然です。

 で、この弟。たちばなの花をきっかけにした文の交換だけでは、居ても立ってもいられなくなり、宮中の仕事を途中でサボって、突然、和泉式部宅に押しかけます。相手が皇族(天皇の四男)とあっては、和泉式部は居留守を使うわけにもいきません。

 まだ兄の方を忘れられない和泉式部、距離を置いて対応するのですが、弟は粘って夜遅くまで帰ろうとしません。ついにはにじり寄り、彼女を押し倒します。

 「あれえー」と、和泉式部が叫んだかどうかは書いてありません。そしてきぬぎぬの朝(愛を交わした翌朝)、弟が和泉式部に贈った歌はもう「首ったけ」。彼女の返歌もまんざらではありません。

 そしてそして。二度目の逢瀬の機会はすぐにやってこないのですが、次に男が訪ねてきたとき、和泉式部は肌を許しません。彼女にとっては思い悩んだ末のことだったと推察しますが、男にしてみればこれ、とことん泥沼に引き込まれる必殺技に等しかったでしょう。

 かくして和泉式部の新しい恋はまた、世間を巻き込んで炎上するのです。ちなみにこのころ彼女はすでに離婚していました。

 由緒正しき古典を、まるで昼メロ(古い!)のように紹介しましたが、この作品と「和泉式部集」その他に残された歌は、一人の女性の際立った存在感・魅力を儚くも艶かしく伝えます。

 明治以降、和泉式部にいち早く共感したのは与謝野晶子でした。

 柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

 歌集「乱れ髪」にある、よく知られた一首。これ、千年前の和泉式部の歌と深いところでつながっている気がします。

 一度でいいから和泉式部の声を聞き、移り変わる彼女の表情を見てみたかった!。と、浅はかな男のわたしは「和泉式部日記」を読んで思ってしまうのです。

 

 <メモ> 和泉式部(いずみしきぶ) は宮仕えにおける呼び名で、本名は分かりません。生年、没年とも諸説あって不明。10世紀後半から11世紀前半を生きました。歌人として有名になり、かつ彼女の恋愛の騒動については「栄花物語」のような史書にも記述があります。

 研究者の中には「数々の恋愛を経ながら、彼女が一番愛したのは、実は離婚した最初の夫だった」(皇族との恋愛を経た彼女は後年、藤原道長の部下と再婚します)と唱える人がいるようで、そんなことを一生懸命訴え議論する国文学という学問、けっこう面白いかもーと、素人ながら思ったりします^^;。

 わたしが一番好きな和泉式部の歌につては、3年前にこのブログに書きました

www.whitepapers.blog

               

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