ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

つれづれに楽しむ 紫式部変奏曲 〜「源氏物語」瀬戸内寂聴訳

 5月の連休明けから、のんびり読み進めているのが「源氏物語」(瀬戸内寂聴訳、講談社)です。紫式部の「源氏物語」は54帖、今風に言うなら54話で構成された大長編ですが、瀬戸内さんの現代語訳では全10巻。

 「さあ、読破するぞ!」などと意気込んでは挫折必至なので、息の長い併読本として、今年中くらいに読み終わればいいかな....程度の気持ちです。

 そもそもこの「源氏物語」、ヤフオクで見つけ、本の上品な装丁の趣きに惹かれ、古本価格が全10巻揃って1,000円だったので思わず手に入れたのです。(ただし送料が1,300円くらいかかって、そっちの方が高い)

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 「桐壺」「帚木」「空蝉」と進んで、今は「夕顔」の途中まできています。まだ先に50帖控えていると思うと、たくさん残っていてうれしい。つまりそれほど、楽しめているわけです。

 「瀬戸内さんの現代語訳はすごい」と「紫式部はすごい」の両方が、読むほどにわいてきます。

 かなり、大胆な現代語訳です。

 霧がたいそう深い朝のことでした。昨夜は久々に、源氏の君と六条の御息所はこまやかな愛の一夜を共になさいました。(中略)昨夜のはげしい愛の疲れに、源氏の君は、まだ眠そうなお顔のまま....

  <夕顔・第一巻P136-137から>

  なんと、こ、こ、「こまやかな愛の一夜」「はげしい愛の疲れ」!だって...。こんな文章を読めば、「千年前に紫式部は、本当にそんなふうに書いているのか?」と、原典に当たりたくなるのは人情ではないでしょうか。

 そもそも<愛>は、明治以降に日本語に定着した言葉だから、紫式部が「はげしい愛の疲れ」なんて書くわけないし。

 幸い、部屋の書架の奥には岩波古典文学体系「源氏物語」5巻と、谷崎潤一郎訳「源氏物語」(中公文庫、5冊)が、最後にページを閉じられてから40年にわたる眠りを貪っています。残念ながら、今もわたしの記憶に残っているのは『紫の上はかわいい!』といった、情けない痕跡だけなのですが。

 さてこの部分、原典では

 霧のいと深き朝、いたくそそのかされ給ひて(はやく起きなさいとせきたてられて)(源氏の君は)ねぶたげなる気色に..

 また、「谷崎源氏」では、原典に忠実にこう訳されています。

 たいそう霧の深い朝、君はしきりに急かされ給うて、まだお眠そうな顔をなさりながら....

 どちらにも、前夜の年上のお姫様との「こまやかな愛の一夜」が激しかったから朝もぐったり....などとは、一言も記述がありません。とてもシンプルなフレーズが、さらり、です。

 では瀬戸内さん訳の「源氏」は、意訳が過ぎるのかと問われれば、わたしはそう思いません。

 おそらく2人の関係性を踏まえれば、原典の「ねぶたげなる気色」という紫式部のたった一言には、書いてなくても前夜のことがありありと、豊かに暗示されているのです。

 朝だるいのは二日酔いに決まっている!(う...)、わたしのような、未熟で想像力の乏しい読者のために、瀬戸内さんは現代的な表現で、具体的には書かれていない暗示を、補足したのだと思います。

 古典からの<現代語訳>であれ、外国語からの<翻訳>であれ、この<訳>というものの許される範囲については、さまざまな考え方がありそうです。

 おかしな例えかもしれませんが、わたしはバッハが好きで、楽譜は一つですが、演奏者によってさまざまなバッハがあります。個人的にはグールドのバッハがいいと思うように、瀬戸内さんの源氏は引きこまれるな。

 それにしても「源氏物語」という名作。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、田辺聖子、橋本治などなど、名うての作家たちが現代語に訳しています。

 ほとんどの古典は国文学者や研究者が現代語に訳しているのに、この物語だけは今に至るも作家たちの創作魂にふれる核を持っている証です。

 恐るべし。

 

(下にamazonnへのリンクを一応貼りますが、ヤフオクなどで探してください。たぶん古本が安く出品されています)