紫式部の「源氏物語」は全54帖。光源氏の晩年を描いた41帖の「幻」を最後に、輝くヒーローの物語は終わります。続く42帖の「匂宮(におうのみや)」は光源氏の死の8年後の出来事が描かれ、ここから残る13帖は新たな世代による展開になります。
ただし、54に数えられない帖が「幻」と「匂宮」の間にあります。それが「雲隠(くもがくれ)」です。タイトルだけが残り、本文は1行もありません。仮にこれも数えるなら、源氏55帖になります。
「幻」に先立つ40帖の「御法(みのり)」で、作品を支えてきた大ヒロイン・紫の上の臨終が語られるのですが、主人公の光源氏は「雲隠」の題と空白だけで、死に関して一言もない。
「雲隠」の帖とは何なのか。作家としての紫式部の作為か。後世の誰かが差し挟んだのか。それとも、元は存在した本文が散逸したのか。
「源氏物語」はさまざまな写本、研究解説書が伝わる人気作品ですから、この帖だけ本文が散逸して題名のみが残ったとは考えにくい。とすれば紫式部の演出、もしくは後世の誰かが(現代風に例えるなら敏腕編集者のように)付け加えたことになります。
専門家の間でも、結論は出ていないようです。瀬戸内寂聴さんは作者の演出説を推して、「源氏物語」巻七の解説にこう述べています。
紫式部ははじめから、源氏の死際など書くつもりはなかったのだと思う。(中略)死を意味した「雲隠」という言葉ひとつに、読者の各人がそれぞれ源氏の死をイメージし想像すればいいのであろう。
こうした解説ではなかなか実感が伝わらないと思いますが、膨大な物語に付き合ってここに辿り着いたとき、突然<空白>が置かれているというのは読者にとって意味深です。一方、作品としてなかなか見事な構成です。
一歩引いて眺めてみれば、「雲隠」の直前にある「幻」の帖は、あれほど女性たちに執念を燃やしてきた光源氏が、正妻・紫の上を失って以降は見る影もなく、ほどんど人と会わなくなった姿が描かれています。
たとえ生きていても、物語の主人公としては死んだ姿をここに描いたとも取れます。
瀬戸内寂聴訳を読み始めて10カ月。この間、瀬戸内さんが亡くなるというニュースがあり、光源氏とわたしの付き合いも今日で終わりました。残る13帖へと進みます。