父の地方勤務に伴い、思春期を草深い東国で過ごす少女。彼女は姉や継母から、光源氏のことなど様々な物語について教えられます。すぐにも読みたいのですが、何しろ田舎のこと。本屋さんなんて、どこにもない時代です。
「更級日記」=菅原孝標の女(すがわらたかすえ の むすめ)=は、そんな熱烈な文学「推し」だった少女が、やがて晩年に至り、苦い思いと共に一生を振り返った回想録です。
彼女が生まれたのは西暦1008年(寛弘5年)、今から千年以上昔の平安時代。同じ年、政界のトップである藤原家に何が起きたかは、源氏物語で知られるあの人が「紫式部日記」に詳細に記録しています。もちろんそこに、半端な役人に過ぎない菅原孝標に女児が誕生したなんて、かけらも出てきませんが。
やがて父の地方勤務が終わり、京の都に帰った彼女は「源氏物語」50余帖をはじめ、「在中将」「とほぎみ」「せりかは」などなど、手を尽くして物語を集め、寝る間も惜しんで耽読します。
「わたしはまだ子供だけど、髪をもっと伸ばして、夕顔や浮舟のような魅力的な女君になるのよ!」
「光源氏のような素敵な男性に出会い、年に1度でもいいからカレが訪ねてくる女になりたいわ」
...ってな具合。
先日の岐阜信長まつりで、信長に扮したキムタクを見ようと数十万人が詰めかけたとニュースになっていましたが、魅力的な男に憧れる女性の心根は時代に関係なく変わらないのかなあ。
わたしが読んだ新潮社版の作品解説で校注者の秋山虔さんは、本文に出てくる源氏の女君が「夕顔」と「浮舟」であることに注目していました。なるほど。
源氏物語に百花繚乱のごとく女性が登場する中、押しも押されもしないヒロインは正妻「紫の上」でしょう。ところが「更級日記」に記されたのは、薄命薄幸の「夕顔」なのです。筆者の心のあり方について、いろいろ想像したくなりますね。
ちなみに本文に出てくる「とほぎみ」「せりかは」ほかの物語は、散逸して題名だけが伝わっています。残念な気もするけれど、戦後数十年に限っても、恐らく発表された小説の99%以上は読み継がれることなく既に埋もれているから、千年以上も昔の物語となると仕方ないのかな。
物語に没頭する彼女の身にも、姉や親しい人の死という悲しみが降りかかり、やがて夢見がちな少女時代は終わりを告げます。
ついに光源氏が現れることはなく、平凡な男と結婚、出産。慣れない宮仕えを経験し、老いて頑なになっていく父に手を焼きます。少女時代から家にこもってばかりで、社交性に欠け社会常識に疎く、仏教に帰依して功徳を積むこともしてこなかったこれまでを、折々にふれて苦々しく自己分析するしかないのです。
さて、夫が地方に単身赴任中のこと。彼女は偶然言葉を交わした貴族に惹かれ、足掛け3年にわたって思いを寄せ続けます。40代前半(くらい?)のときめきと、実を結ぶことのない関係がけっこうなページを費やして記されています。
なんと言うか、ほんわか不倫、または心温まる心の不倫...みたいな。まあ当時、一夫一妻のモラルは曖昧だから、ここで「不倫」という言葉が適切かどうかは置いておくとして。
冒頭に書いたように、これは作者晩年の回想録。過去を老境の視点でまとめています。そこには当然、記憶の美化があり、出来事の大胆な削除があります。「更級日記」は100ページほどの短い作品ですが、それでも千年の時を超えて「一人の女」の息づかいが伝わってくるようでした。
<メモ> 菅原孝標の女 1008年に生まれ、没年は1059年以降。本名は伝わっていません。菅原家は学者一族で、父の孝標は政権の中枢に関わるほどの貴族ではありませんが、地方に派遣された現代の県知事クラスの役人でした。紫式部、清少納言、和泉式部が活躍したのは彼女が生まれたころ。また伯母は「蜻蛉日記」の作者です。