ややタイミングが遅れましたが、クリスマスイブ。今年もあちこちの家でケーキにナイフが入っただろうなあ、そして不運な何百人は、高島屋の崩れたケーキの画像をSNSに投稿。あれは一流デパートとして、事後対応も含めひどい。
同じころ、わたしはビールを飲みながら3世紀、弥生時代後半の卑弥呼が統治する邪馬台国へタイムスリップしていました。
ブックオフで上下巻合わせて200円。買って積読本の仲間入りをし、ようやくクリスマス前に手にしたのが「鬼道の女王 卑弥呼」(黒岩重吾、文藝春秋)でした。なぜそのタイミングかと問われても、そもそもわたしの日々はクリスマスの華やぎ感と縁遠いのです。残念ながら。
本を開く前、わたしの胸にある疑問がありました。弥生時代の邪馬台国を描いて、これを「歴史小説」と呼べるのか?。単なる荒唐無稽のストーリーとして受け止めればいいのか?。だったらつまらなくないかい?
そして読み終えたとき、これは立派な歴史小説だと思いました。
歴史小説の舞台は、武士が権力を握った鎌倉時代以降が圧倒的に多い。言うまでもなく、史料が豊富だからです。
戦国を代表する信長なら、何年何月何日にどこで何をしたか、側近が記録し続けた「信長公記(しんちょうこうき)」に詳しく記されています。また信長に対峙した朝廷の側も、公家たちが日記に信長の行動を残し、宣教師が接見して母国に報告した信長像があり、複数の視点から一人の戦国武将に焦点を当てることが可能です。
だから、信長にどんな血肉を与えて小説として生々しい人間に描き切るか、歴史解釈を絡めた作家の腕が問われます。他の戦国武将も同様。
平安、奈良、飛鳥と、時代を遡るほど歴史小説が少なくなるのは、貴族社会に武家社会のようなダイナミズムがないから。さらに、残された史料が厚みに欠けるせいだと思います。
「鬼道の女王 卑弥呼」は、日本列島で人びとが弥生式土器を作り、環濠集落(堀を巡らせて外敵に備える集落)で稲作をしていた時代。文字がないので記録史料などあるはずもなく、学問でいえば歴史学ではなく、考古学が主役のゾーンです。
唯一の史料は、中国の歴史書。「三国志」の魏という国について書かれた「魏書」第30巻に、東夷伝倭人条という部分があります。そこには海の向こうの僻地に生きる倭人(現在の日本人)の風習、政治形態、どんな階級社会が形成されていたかが記されています。
この略称「魏志倭人伝」がなかったら、わたしたちは西暦200年代、弥生時代後期の倭国(日本)に、邪馬台国を中心とした連合国家があり、女王・卑弥呼が鬼道(呪術)で国家連合を治めていたことを、知る術はありませんでした。
さて、小説「鬼道の女王 卑弥呼」は、「魏志倭人伝」の記述分析と解釈、また考古学の発掘成果を駆使して、当時の倭国を描き出しています。
考古学では、銅鐸や銅矛の発掘実績から、九州と近畿で明らかに異なる文化圏を形成してたことが分かっています。弥生式土器の形態調査から、九州の中にも文化の違いがあり、さらに発掘物を比較検討することによって、朝鮮半島や中国と倭国の間に活発な行き来があったことも明白になっています。単なる交易に限らず、移住目的、政治的亡命のような渡来もあったでしょう。
作中、たびたび作者である黒岩さんが顔を出して最新の考古学的成果を紹介。これを邪馬台国及び列島各国や登場人物たちの性格付けの根拠にして、小説が成り立っています。卑弥呼の呪術(鬼道)については、日本古来の信仰に、渡来人が伝えた道教が融合したものとして描いてあります。
ちなみに歴史小説で、作者が顔を出して自らの史観を述べることは、司馬遼太郎さんを筆頭にしばしばあるパターン。
この小説が書かれたのは30年近く前なので、歴史学や考古学は当時の達成点を踏まえています。細部に関して、今は古くなった学説もあると想像しますが、わたしのような歴史好きにはとても面白かった。
邪馬台国の所在地について、専門家の間では九州か畿内か長く意見が分かれてきました。黒岩さんのこの小説は、九州説。やがて、九州から畿内へ邪馬台国は遷都し、それが大和朝廷になっていくことを示唆して終わります。
仮に黒岩さんの仮説通りだったとしても、遷都は女王・卑弥呼の死後のこと。小説の中の彼女は、孤独な一人の女性として生涯を終えます。現実の卑弥呼はどんな人だったのか。倭国のあちこちで、人びとはどんな生涯を送ったのか。
当時に想像力を遊ばせて、わたしのクリスマスイブが過ぎたのでした。
蛇足ながら、もし中国史に詳しい方であれば、よくご存知の劉備、諸葛孔明、曹操ら英雄たちが戦いを繰り返した三国時代。ほぼ同時期に、倭国に現れたのが卑弥呼だったのです。今ネットで調べてみると、3世紀のヨーロッパはローマ帝国の時代だったんですね。なるほど...。