マガジンハウスから出ている「BRUTUS」という雑誌があって、最新号の特集が「理想の本棚」。わたしは雑誌類をめったに買わないのですが、表紙に惹かれて少し立ち読みし、戻すことなくレジへ向かいました。
面白そう。この特集、本好きの一人としては、立ち読みで終わるわけにはいかんだろう...ってな感じでした。
書店に寄ったのは昼前だったので、これから帰宅して昼飯は冷凍食品をチン、食後にコーヒーを飲みながら午後を過ごすのに、特集はぴったりに思えたのです。
そして、わたしの期待に「BRUTUS」は十分応えてくれたのでした。メーン企画は画家・横尾忠則さんら各界で活躍する14人の書斎と本棚を写真で紹介し、それぞれの本への想いを記事にしてあります。
冒頭に置かれた横尾さんの場合は書斎ではなくアトリエで、壁の一面が天井まで本棚。床にも本が積み上げられています。ところが横尾さん、あまり本は読まなくて「僕の趣味は読書ではなく買書」だと...。
え。
「料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです。(中略)本を手に取って装丁を眺めたり、カバーを取り外したり、開いた本の活字に目を落としたり、時には匂いをかいだり、重量を感じたり、目次とあとがきと巻末の広告ぐらいは読みます。そして本棚に立て、他の本との関係性を楽しんだり」
そうやって本を「肉体化する」ことで、愛情を注いでいるとか。意表をつかれました。本の物質感とイメージを味わうとは。さすがアートの巨匠です。ちなみに、トイレには古い谷崎潤一郎全集があって、物として置いておきたくて買ったそうです。でも、トイレと谷崎は斬新すぎるw。
物質としての本を愛する気持ちは、分かります。わたしは昔、数ある本の中で岩波文庫の紙とインクの匂いが好きでした。書店で買おうか迷った本はページを開き、匂いをかいだものです。もし犬だったら、本に顔を埋めて尻尾を振っていたでしょう。
一方、グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんは、今はベッドサイドに4段の小さな本棚が一つきり。仕事と育児の両立に明け暮れ、もっぱら隙間時間に読書するだけだそうです。
そこにぎっしり詰まった本は、長嶋さんにとって切実なものばかり。女性や母をテーマにしたルポルタージュ、心理学の名著が目につきます。
「自分に立ちはだかる壁は外から見えないことが多いけれど、本たちからは見えていて、そのことに救われる。本棚を眺めていると、仲間や先生や同志と共にいるようで安心するんです」
他にも、うらやましくてため息をつきたくなる本の空間が、たっぷり掲載してありました。大きかろうとささやかだろうと、本棚があれば、それぞれの思いが詰まっているのです。
「私の本棚の、絶対に捨てられない1冊」のテーマは、作家の小川哲さんら11人がエッセイを寄せて、人生の局面と本との出会いが語られています。
わたしとしては、平松洋子さん(作家、エッセイスト)の一文がよかった。平松さんは深沢七郎が好きで、1980年に「みちのくの人形たち」が中央公論社から単行本で出たときに買いました。やがて文庫になると、また買いました。それほど圧倒された作品だったのです。
10年ほど前、福岡の露天古本市を散策していた平松さんは、経本のような蛇腹開きの奇妙な古本を見かけます。日焼け気味の表紙に「みちのくの人形たち」の文字。平松さんは「あっ」と声を上げたそうです。深沢七郎が私家版として1冊1冊、紙を折り、手作りして刊行した幻の本でした。
「あー、いい話だなあ」と、わたし。本好きは、こんなストーリーにほんのりし、じわり胸が熱くなります。
これは今、わたしの目の前の光景。机の積読本の向こうにある本棚の中は、なんというかまあ、<殿堂入り>本です。廃棄しない本たち。
写真にない左、及び背後の壁面の書架と一部の床は、かなり混沌としていて、お見せできかねます。先日も年末に向けて、苦労して100冊ほど処分しました。毎年の本の処分はエネルギーがいる。過去を切り捨てるようで。
でもねえ、そろそろどうでもいいか...という気分があります。60代後半ならじじいの領域。残り少ない人生で多少本が増えたって、だれかに迷惑をかけるわけでもないし。
わたしの大学時代からの友人に鉄道マニア(いわゆる、鉄ちゃん)がいて、元高校教師の彼は部屋に電車を走らせ、駅舎や踏切、沿線の畑で鍬を振るう老人まで、ジオラマで作っています。
やつとはなんだか気が合うのです、これがまた。