ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

戦国を駆け抜けた孤独なヒール 〜「じんかん」今村翔吾

 面白い小説は冒頭の数ページで読者を引き込みます。ページをめくったとたんに「むむ!」っと思わせ、先を期待させる雰囲気をぷんぷん発してきます。

 暖簾をくぐったら、目の前のざわめきや漂ってくる食い物の匂いで、「この店は当たりだ」と直感するのに似ているかな。そういうお店、めったに出合えないけれど。

 「じんかん」(今村翔吾、講談社)は、読み始めてすぐ「当たり!」の予感がしました。戦国時代を代表するヒール(悪役)の大名・松永弾正を、だれより一途で人間的な男として描き、常識とされてきたイメージを覆します。

 

 史実や通説をベースにしながらも、悪のイメージを善に転化する力技の無理を感じません。作家としてさすがの力量です。タイトルの「じんかん」を漢字にすれば人間。「人と人が織りなす間、つまりはこの世という意(作中より)」。

 物語は「弾正が謀反」の急報が、権力の絶頂にある魔王・織田信長に届くシーンから始まり、一気に弾正の過去へ飛びます。

 商人だった父を足軽に殺された幼少期の弾正。悲惨な体験を経て武士になり、民の苦しみをなくすには武士の世界を終わらせるしかないーという理想を抱きます。武士の世を終わりにできるのは、武士だけ。そして神も仏も信じない。

 弾正が思い描く「民が治める民のための国」は民主主義そのものですが、現代的な視点を戦国時代に持ち込んだところが面白さ。当時、北陸などは一向衆が実効支配する宗教国でしたから、あながち突飛な発想とも言えません。

 しかしそんな夢を、弾正に捕らえられた敵の武将は笑います。民が治める国など、まともな国になるはずがない...と。

 「百年後の民にいくら有益であろうと、今の暮らしが奪われれば民は怒り狂う...結局のところ、民はみな、快か不快かだけで生きている」

 また民は

 「己を善と思い、悪を叩くことは最大の快楽。たとえ己が直に不利益を被っておらずともな」

 一人ひとりはか弱くても、心の底の闇、群衆になったときの怖さと愚かさを、お前は分かっていないだろう....と、死を前に言い遺します。

 うーん。読んでいて、舞台が戦国時代であることを忘れてしまいそうな台詞。

 

 以下、歴史好きのおじさんや「歴女(れきじょ)」と称されるみなさんには釈迦に説法になりますが、歴史には何人ものヒーローがいて、戦国時代であれば信長、秀吉、家康などが代表格ですね。まあ信長だけは、ヒーローとヒールの称号を併せ持つ魔王か。

 一方、ヒールでまず思い浮かぶのは、本能寺で主君・信長を討った明智光秀。「なぜ、光秀は信長を討ったのか」は歴史の謎の一つで、光秀を主人公にした小説も少なくありません。

 「悪」のイメージが定着した武将にスポットを当てて人間的な肉付けを行い、イメージを覆すのは歴史小説において魅力的なテーマです。

 「じんかん」もそうした流れの中の作品ですが、松永弾正は知名度が低いし、なかなか作品化が難しい人物のはず。ところがこの1冊、歯切れのいいストーリー展開で歴史に詳しくない人が読んでも十分に楽しめる小説に仕上がっています。

                 

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