ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

なぜ信長は光秀に討たれたか 〜「信長の原理」垣根涼介

 少年は蟻を見ていた。

 暑い夏の午後、しばしば飽くこともなく足元の蟻の行列を見続けていた。

  周囲から煙たがられ、母からも疎まれるこの少年は、吉法師(きっぽうし・織田信長の幼名)。「信長の原理」(垣根涼介、角川文庫)は、蟻を見つめるシーンから始まります。現代的な着眼点を骨格に、織田信長という人物に迫った異色作。説得力があり、とても面白く読めました。「現代的な着眼点」とは、蟻のことです。

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 <働き蟻の法則>という、割と知られた法則があります。働き蟻と言っても全てが勤勉に働くわけではなく、一心不乱に働く蟻はわずか2割、6割の蟻は空気を読みながら適当に働き、残る2割は「怠け蟻」だというものです。

 蟻に限らず、この2・6・2の法則は人の組織一般にも当てはまるととらえ、会社経営や組織運営を考えたことのある経営者やリーダーは、結構いらっしゃるのではないでしょうか。この法則の面白いところは、これだけで終わらないところです。

 それならと、最高の効率を求めて上位2割の優秀な働き蟻だけを集めて一つの集団にすると、不思議なことにそこにまた2・6・2の法則が出現します。逆に、怠け蟻だけの集団を作っても、やがて優秀な蟻が現れて2・6・2の比率に収まるというのです。

 極めて特異な個性と明晰な頭脳の持ち主である信長は、この法則を見い出します。そして神仏は信じなくても、自ら発見した不可思議な法則を、配下を掌握するための原理にしていきます。そんな主君の考え方に薄々気づいた側近は2人だけ、秀吉と光秀でした。

 史実を踏まえながら、信長が重用し、あるいは放擲、殺害し、または信長を裏切った武将たちとの関係が、この法則を根底に肉付けされていきます。見事なのは、個々の肉付けに血が通っているところ。

 終盤になって信長は、やがて落ちこぼれる蟻(自分に反旗を翻す者)を、家康と見定めます。老獪に時代を泳ぎ、最終的に天下をとったのは家康ですから、極めて正確な読みでした。ただしやや先まで見通しすぎて、直近の未来に対する見通しに欠けていました。

 明智光秀軍に囲まれた京都・本能寺で、信長はこの自らの「読み」の瑕疵に気付きます。死を前に信長が発したという言葉「是非に及ばず」はこうして、卓越したものであるという自負と、苦い自らの限界の認識を踏まえて、小説の中でも発せられています。

 織田家の旗印の一人であった光秀が、なぜ主君を討ったか(討たざるを得なかったか)も詳細に書き込まれていて、なかなか読ませてくれます。

 秋の夜長は<灯火親しむべし>。遠い歴史の世界へタイムスリップするのも楽しい^^。

 蛇足ですが、<働き蟻の法則>にどの程度の科学的根拠があるのか、私は知りません。全ての蟻が一心不乱に働けば一時的な生産性は上がるけれど、疲労したときは一気に休みます。2・6・2は比率はそのまま中身が入れ替わり、継続的に生産性を維持するための割合なのだという説もあるようです。蟻の世界の話ですが。

                  

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