織田信長、上杉謙信、明智光秀、大谷吉継、小早川秀秋、豊臣秀頼。戦国時代を生きた6人の武将の生き様の、1断面を切り取った連作短編集が「戦の国」(冲方丁、講談社文庫)です。
冒頭に置かれた「覇舞踊(はぶよう)」は、信長を描いた作品。1560年、桶狭間の合戦。大国を領する今川義元が、小国・尾張の信長を飲み込もうと侵攻してきます。夜明け前の早馬が「敵、来襲せり!」の報をもたらした時、27歳の信長は寝所を出て、武装する前に扇子を持ち、一人で舞い、謡(うた)います。幸若舞(こうわかまい)の演目である「敦盛」。
人間(じんかん)、五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
ひとたび生を受け、滅せぬもののあるべきか
このくだり、なんだか大河ドラマの1シーンを作るための脚色みたいですが、そうではなく、作品は全体を通して史実をほぼ忠実になぞっています。信長を記録した一級史料である「信長公記」にもこの「敦盛」の舞は記録されているのです。
でも、歴史小説が史実をなぞるだけなら、そもそも小説家の手腕とは何なのか、という素朴な疑問がわきます。自問自答してみるなら、それは彫刻家が大理石や木を削るノミの鋭さと角度のようなもの。予めポーズは細かく決まっていても、彫り上がる作品は人によって全く別物になります。
さて、
人間(じんかん)、五十年、化天のうちを比ぶれば...
に話を戻します。これは人の生命の短さ、はかなさを嘆じた一節で、仏教の無常感そのもの。舞う信長の心のうちを、冲方さんはこう描き出します。
ーーならば、今日という日を、今というこのときを、激烈に生き抜くほかなかろうが。
それが信長の心根であった。苛烈な刹那主義であり、もともとの心境からは見事に逆転している。
さらに
ひとたび生を受け、滅せぬもののあるべきか。
ーーならば、いかな強大な敵といえども、工夫次第で殺せるはずであろうが。
小説家は史実(とされるもの)に解釈のノミをふるい、のちに魔王の如く恐れられる信長が、世に出ることになった最初の戦前夜の描写から、人間像を彫り出すわけです。
こんな具合に、それぞれの運命を生きた6人の武将たちが作品の中で生々しく呼吸し、死んでいきます。
3作目に置かれているのは、明智光秀。まさに信長を討つ、その直前から始まります。光秀という人間を彫り出しながら、彼の視界に映る信長もまた描かれます。このあたりが連作という作品群の面白さですね。
全体を通読すれば、各作品を通した密かなテーマは「道」です。大軍が移動するための道、物品が流通し経済的な繁栄をもたらすための道。道がどう生きるか、生かすかで、運命が左右されます。
戦国においては、各国が独立国ですから、それぞれに民生、経済政策、外交などがあるわけです。強い軍事力を持つためには、経済基盤と、道のような社会インフラの整備が必須。勝った負けただけではなく、こういう視点を歴史小説に本格的に持ち込んだ最初は、北方謙三さんじゃないかなあ。このジャンル、あまり詳しくないのですが。
そして道は人生の「分かれ道」ともかかります。出陣後、本能寺に向けての道に兵を進めた光秀などですね。
最後に、付け足しを。史料から見える信長を知りたいときは、和田裕弘さんの「信長公記〜戦国覇者の一級史料」(中公新書)が手軽でお薦めです^^。読めば今年のNHK大河が、より面白くなるかもw。