ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

伝えたい言葉となって舞い散ろう 〜「岸辺に」池田瑛子

 戦争、災害、犯罪被害。いかにその悲しみに寄り添うか、見知らぬ人びとの痛みを、自分の痛みとして分かち合えるか。

 そうした悲しみや痛みは、自ら求めることなく否応なく外からなだれ込んでくるものでしょう。なだれ込んできたものに心を埋め尽くされた人が「表現する人」であったなら、彼あるいは彼女は、絵の具や音符や、言葉を使って、悲しみや痛みを作品に定着させようとします。それが「表現する人」である、自分の在り方だから。

 ピカソの「ゲルニカ」をはじめとして、悲劇に寄りそう作品は、芸術がこの世にあることの大きな意味の一つです。。 

 自分は被災地には住んでいなかったけれど、一人の女性詩人が2011年3月11日の東日本大震災の後に、大きすぎる悲しみと痛みに寄りそって詩を書いたのは、ごく自然な成り行きでしょう。詩人本人にとっては、激しい心のきしみを「詩」という形式に昇華する厳しい過程だったはずですが。

 そして生み出された言葉は、とても分かりやすい。

 

 いちまいの 桜の花びらになって

 いちまいの 祈りの花びらになって

 ことしの桜を咲かせよう

 

 攫(さら)われていった数えきれない命

 一度も桜を見なかった小さな命にも

 みんな寄りそってここにいるよと

 いちまい いちまいの花びらになって

 ことしの桜を咲かせよう

 

 こういう詩、わたしは好きです。理屈ではなく、自分の心に張られた弦が勝手に共鳴し始めるから。詩は続きます。

 

 ひとひらの 灯りの花びらをともして

 ひとひらの 祈りの花びらをともして

 夜の深みの花明かりになろう

 たましいが迷わないで帰ってくるように

 

 伝えたい言葉となって舞い散ろう

 堪えている涙となって降りしきろう

 

 悲しみを抱きしめたながら、詩は未来に向かいます。どんなときであろうと次の日はやってきて、次の月、次の年が生きている者には積み重なっていきます。悲しみが降り積もった土からも、新しい芽が出ていのちが始まります。

 

 降りつもり 降りつもり

 土に溶けて あたたかい大地になろう

 (以下略)

 

 紹介したのは詩集「岸辺に」(池田瑛子、思潮社、2013年)から、表題になった作品の前半部分です。

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 世の中は平時と非常時がありますが、今は新型コロナウイルスによる非常時です。今日未明までかかって仕事に一区切り付け、昼はのんびり過ごしました。書架を眺めていて、久しぶりにこの1冊を手にしたのは、これが非常時をテーマにした作品の一つだったからかもしれません。

 井上靖さんが散文詩集「北国」のあとがきで「私は自分の周囲に何人かの尊敬している詩人を持っているが、尊敬しているのは彼等が作った何篇かの、自分も理解できた秀れた少数の作品のためである。自分に理解できない、また自分に無縁な作品というものはそうした尊敬している詩人の詩集にもたくさんある」と記しています。

 読者にとっても、詩人にとっても、詩とはそういうものなのでしょう。井上さんはまた「一生のうちに何篇かの立派な詩が書けたなら、その人は立派な詩人であるに違いない」とも書きます。

 とするなら、人が(自分にとって)いい詩に出会う確率は、ずいぶん低いことになります。だからこそ、いい詩との出会いは心に残るのでしょう。