ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

昔の自分に遭遇した夜

 自分が若いころ、詩を書いていたという意識は、ありません。

 とぎれとぎれながら、数年の間に何編かの<詩のようなもの>を書いたのは、20代の後半でした。散文詩も含め、せいぜい10篇くらいです。

 既に就職していて、文章を書くことが仕事になっていましたが、求められていたのは詩や小説の対極にある原稿でした。仕事の明け暮れに充たされていたかどうかは別にして、ただただ日夜、時間に追われる日々でした。

 そんな日常からこぼれ落ちるように、あるとき<詩のようなもの>が数日の間に数篇、出てきたのでした。ある女性との出会いから、手痛くふられるまでがテーマでした。いま想像するに、過去の痛い体験を言葉にすることで、できるくらいには時が流れたので、整理したい思いもあったのでしょう。

 先日、部屋の整理をしていて、机の一番下の引き出しの奥にある黄ばんだ原稿用紙を取り出してみたのです。ひえー、中に<詩のようなもの>が。

 赤面もの...なのですが、無性に懐かしくもあり。

 実は書いてから10数年後、と言っても今から20数年前のインターネット縄文時代(?)に、あるサイトで一度公開したことがあります。一通だけ、面識のない女性から「不思議に心に残った」というメールが届き、静かに、深くうれしかったことだけを覚えています。

 さて、このブログはわたしの読書記録兼日誌でもあるので、偶然発掘した昔の遺物を記録しておくのも許されるだろう。と、決めました。

 以下は、極めて個人的な、ある出会いから破綻までの記録。4つの連詩を気取って少々(かなり?)理解し辛いと思うので、簡略な付言(これは無視可)を添えて。

 当然のことながら、関心のない大多数の方々は即、全部スルーしてください。

 

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  潮騒

問いかけることをやめた
見つめることをやめた
笑うために理由はいらない

ふれあうたびに
扉が開いた
その不思議

ほほを打つ羽ばたきのように
ぼくの前におまえがいた

 

 一目惚れ。指先がふれあうだけで、髪をなでるだけで充たされ、知らなかったページがめくれていくような幸福。今さえあればいいという時間が、確かにありました。

 

 

 

世界の静かさに気づくには
しばらく時間が必要だ
ぼくが耳をすまして立っているとき
世界もまたぼくに拮抗して立っている


世界の寡黙さは
しかしぼくの寡黙さだ
ぼくを成り立たせる
数え切れない細胞の重さに疲れて
ぼくは樹木のかげにおまえを探すが
むろん樹木は ぼくや
おまえのために立っているわけではない


そしておまえはときどき
世界以上に残酷だったりする
空の高さが世界の深さである日
鳥は落ち続ける



 離れたくないと思った瞬間から、終わりは静かに始まっています。日々の細部に、人と人の埋めることのできない断絶を知るということは、大人になるための過酷な過程です。やがて二人は、互いの姿を見失い始めます。

 

 

 ここにいる

 

ゆらぐ樹木のように
風の言葉だけを語りたかった
赤ん坊のように
ただそこにあるものに触れたかった

おまえを抱く
おまえに抱かれる
そうしてぼくたちは
血の中に孤独を育てる

見つめ合うことを恐れたとき
沈黙は一つなのに
一つの言葉は同じではない

ぼくがおまえを呼ぶ
おまえがぼくを呼ぶ
ぼくたちの体はやがて
主のない二つの棺になる


  生きた言葉を語れなくなったとき、人と人の間を行き来するものはもう、なにもありません。いつからそうなってしまったのか、振り返っても虚しいだけですね。

 

 

 二〇歳

 

二〇歳
雨の日を選んで
こころに刺青を入れた
記憶の枝にからまる
長い髪のすべてに火をつけた
瞼の裏に
もう おまえを見たくないから
目を開けた

鳴らないはずの発車ベルが
こだまし続けた季節
サーカスのテントで
男は銀色のナイフを投げ損う
迷った子どもたちは
泣きながら崖へ向う


二〇歳
もう十分過ぎる時間を生きた気がした
まだ子どものままなのに

雨の駅で
改札係があくびをした
待合室で人類学者が眼鏡をふいた
電車を待って
履き古した運動靴が棄ててある

 

                                  

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