ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

1年後に花を買う その時きみは 〜「平場の月」朝倉かすみ

 50歳。半世紀も生きてきたのだから、波乱や悲しみ、喜びの経験はいくつも胸にしまってある。だれだってそうだろう。もう、冒険を試みるような年齢ではない。日々の小さな感情の起伏をつなげて年月が過ぎ、やがてそう遠くないいつか、老いた自分を静かに見つめる日がやってくるのだろう...。

 「平場の月」(朝倉かすみ、光文社)は、そんな大人たちの悲しい恋愛小説です。

    

 生まれた町で暮らす中学時代の同級生たち。地元を出ることなく働き、結婚した元女子がいれば、東京から戻ってきた<おひとり様>元女子に、主人公はバツ1の元男子など、そんな50歳の同級生の顔ぶれはどこにでもありそう。

 恋の発端は、お昼時の病院の売店。胃の内視鏡検査で引っかかったバツ1の元男子が、<おひとり様>元女子と再会します。

 顔を上げたレジ係の女性と目が合った。左の泣きぼくろ。小柄で、華奢で、短めのおかっぱの横の毛を耳にかけて。

 「あれ? 須藤?」

 劇的でも何でもない日常の一コマ。実は二人だけが知る、あまりかっこよくない記憶が、一つだけありました。二人で公園に行ってしがないお昼を食べてラインの交換。元女子の方も健康に不安があり。そこから、少しづつ二人の心にざわめきが生まれ始めて.....。

 この作品の魅力は、擦れた50歳の心の襞から滲む心情を、丁寧に掬い取って積み上げ、物語を進めていく筆致にあります。大人の切なさ、かな。朝倉かすみさんは初読ですが、この筆力で勝負する作家なんだなーと思いました。

 平凡な日々を突然断ち切るものは、得てして病魔です。やがて命をかけて(命をかけざるを得なくなる)求め合いながら、それをどんな言葉に託すか。愛し合うが故に、哀しい行き違いが生まれます。いや、行き違いというより、愛しているから相手を騙す。ここが作品のツボになっていて、最後に唸ってしまいました。

 もし消化器系がんや医療に詳しい人であれば、病気の進行に関してごく僅かに違和感があるかもしれません(普通は分からない)。実は私も少し「ん」と思いました。でも恋愛小説は作者の世界を受け入れて楽しまなければ、あるいは涙しなければ、損をします。気にしないことにしましょう。

 この稿、後半から思わせぶりな記述ばかりで申し訳ありませんが、もし食指が動いたなら、具体的には小説をお読みください。山本周五郎賞受賞作。うん、かなりよかったよ。

                 

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