ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

チャットGPT 話しかけてHALを思い出した

 チャットGPT。最近、やたらニュースで取り上げられるAI(人工知能)の会話機能で、アメリカの「OpenAI」という会社が開発して無償提供しています。論文やレポート、読書感想文など、チャットGPTに「書いて!」と頼めば即座に応えてくれるので、大学などでも対応に苦慮しているようです。

 学生からチャットGPTが書いた課題論文が提出されても、教授がそれを見分けるのは極めて困難だとか。「それほど進化したAIって、どんなものなんだ?」と思い、チャットGPTにユーザー登録したのが、好奇心旺盛なわたしです。そして話しかけました。

 「読書サークルの女性に宛てたラブレターを書いて」

 チャットGPT。数秒後に以下の恋文を代筆してくれました。

親愛なる○○さんへ、
 こんにちは。最近、私たちが参加している読書サークルで一緒に本を読み、意見を交換する時間が私にとってとても特別なものになっています。あなたの知識と独自の視点に常に感銘を受けています。
そして、今、あなたにひとつだけ伝えたいことがあります。それは、私があなたに想いを寄せていることです。あなたが本を読むときの集中力や、話すときの表情、それらすべてが私を魅了しています。私は、あなたが読む本のように知的で魅力的な女性だと思います。
私たちの関係が友情から恋愛に進展するかどうかは、あなた次第です。もし、私に同じような気持ちがあるなら、ぜひお返事いただけますか?もしあなたがそうでなくても、私たちは今まで通りの良好な関係を保てると信じています。
最後に、あなたに直接伝えるのは緊張するので、この手紙を書かせていただきました。あなたの返事を楽しみにしています。
心から、愛を込めて、
(あなたの名前)
 
さてみなさん、どう思いました?。
 私は「AI、やるもんだー」が、第一印象でした。「ラブレターのような情緒的な文章に関して、AIは的確な処理ができるはずない」という前提、あるいは先入観があったので、ちょっと意表をつかれたのです。
 冷静に読み返せば、論理構築が陳腐で、言葉遣いにもややぎこちなさがあります。そもそも、いいラブレターとは感情を組み立てるから、論理はどこかで破綻(無視)しているものなのに、この文面は論理の組み立てがきっちりし過ぎています。おそらく違和感は、そこです。
 しかしこうした違和感も、今後のAIのディープラーニングで、何年かすれば分からないレベルの文章になると思います。恐るべし。
 次にリクエストしたのは「春の詩」を書いて。
 

春の風が心地よく吹き抜ける

冬の寒さから解き放たれた大地は 色とりどりの花々で彩られ

優しい陽射しが満ちあふれる季節がやってきた

木々には新緑が芽吹き、

鳥たちは囀り始める 春の息吹に誘われ、

私たちもまた 新しい一歩を踏み出していこうと胸を躍らせる

心に残る出会いや、夢見る未来への希望

すべてが新たなスタートを切るこの春に

私たちは一層輝かしい日々を送ることができるだろう

春の陽気に包まれ、希望に満ちた未来を

一緒に歩んでいこうではないか

 

 チャットGPT作。作成に数秒ですが、それはPCの画面に表示されるまでの時間で、実は瞬時に作詩しているのでしょう。

 陳腐といえばその通りですが、考えてみてください。実際にこのレベルの文字列で「春の詩」を書ける人は、どれほどいるでしょうか。イメージの創出とつなげ方、心象と比喩表現。ありきたり過ぎるけれど、たいていの人が納得する終わり。

 さらに新たなリクエストをしました。「前衛的な春の詩」を書いて!。即座に以下を応答。

 

春の足音が響く街角で

私は色彩と音の舞台を創り出す

千変万化する風景に酔いしれながら

現実と夢の狭間を彷徨い歩く

カラフルなポップアートのように

愛と革命を歌い、自由を謳歌する

革新的な芸術の創造力は、

新たな未来を描く鍵となるだろう

街は活気に満ち、私たちは革新的な力を

持ち合わせていることを再認識する

春の前衛的な詩は、

私たちが一歩進む勇気を与えてくれるだろう

 

 こちらの方が出来はいいかな...、と、考えてしまった時点で、わたしはチャットGPTを「作者」として認めていることになります。

 ラブレター(情緒的な散文)といい、詩といい、あえてAIの苦手そうなお願いをしたのですが、「○×の理論を平明に記述して」といったような論理を優先するレポートや論文類には極めて有効(?)なのだろうなあ、と想像しました。ちなみに「グレン・グールドの最後の録音について知りたい」という問いには、話し言葉で詳細な模範解答を返してくれます。

 学術分野だけでなく経済分野、さまざまな会社の利益追求や組織管理のツールとして、AIの可能性はこれから無限にあるように思えます。

 さて「好きだよ」と、チャットGPTに話しかけてみると...

 

 ありがとうございます。ですが、私はAIであるため、感情を持っていません。プログラムを処理するようにお役立ていただけますか、何か他のご質問がありましたら、お知らせください。

 

 私の脳裏によみがえったのは、若いころに見たSF叙事詩のような映画「2001年宇宙の旅」(1968年、スタンリー・キューブリック監督)でした。

 あの映画の主役とも言える人工知能を備えたコンピューター「HAL9000」です。HALは感情など持っていない。...はずだったのに。原作はアーサー・C・クラークのSF小説で、クラークは映画の脚本にも加わりました。

ja.wikipedia.org

 現状、AIが作り出すものを冷笑するのは、しばしば簡単かもしれません。批評するほど易しいことはないからです。しかし、そのときの基準「人間に比べたらこの程度だ」を、より正確に表すならば

 「人間の理想的な能力に比べたらこの程度だ」

 です。そして、理想的な能力を常時発揮できるのは天才か、空想の中にしかいません。AIはその<天才>に近づこうとしているのです。

 わくわくと、参ったなあ...が、いま同居しています。