ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

事実と真実 そして哀しみに至る 〜「朱色の化身」塩田武士

 昭和31年4月23日、フェーン現象で乾燥した強風が吹き荒れる朝、福井県の国鉄芦原駅前の商店から出た火は、福井を代表する温泉街・芦原温泉を焼き尽くしました。「朱色の化身」(塩田武士=たけし=、講談社)は、炎に追われ焼け出された人びとの群像を活写した序章で引き込まれました。

 当時の新聞記事、市役所や消防の記録に加え、体験した市民から細かく聴き取りを行って描かれた迫力ある記述です。多くの人生を左右した大火災。

 20ページほどの序章に続く本編。舞台は2020年のコロナ禍の東京に飛びます。突然姿を消した一人の女性の行方を追って、物語は始動します。福井出身の彼女は、京大から大手銀行に入り、退職して開発したゲームで有名になった美貌の才媛。いったいなぜ、どこへ消えたのか。

 とある個人的な理由で(具体的にはお読みください^^)彼女の行方を追うのは元新聞記者のライター。彼が主人公ということになりますが、真の主人公は最後まで姿を表すことのない行方不明の女性です。

 彼女と接点のあった人びとを訪ねることで、行方が分からない彼女の姿がシルエットのように浮かび上がり、やがて立体感を持ち始めます。一人の人間としての表の貌、裏の貌。事実と真実は、どちらが表なのか裏なのか。

 やがて芦原温泉の大火が絡んだ親子3代の女の歴史が明らかになるにつれ、読んでいてある簡素な言葉が胸に迫ってきました。

 「生きる」。

 

 本の帯によれば、この作品は「圧巻のリアリズム小説」だそうです。うーん、と...やや苦笑い。

 この場合の「リアリズム小説」の意味を補足すれば、真の主人公である<彼女>が架空の存在である一方、物語の舞台や社会背景は細部まで調査と取材による事実で固められていることです。

 しかもその姿勢が徹底している。個人的には、とても惹かれる手法でした。

 タイトルにある「朱色」とは。雪の中で<彼女>が立っていた橋の色、そして大火の炎を象徴しています(たぶん)。その「化身」が宿していたのは、深い哀しみでした。

          

→  「朱色の化身」Kindle版 講談社