ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

哀れ 恋心 自堕落 そして生きること 〜「山の音」川端康成

 旧友を酒に誘い、夕方から早めに家を出ました。会社を離れて田舎に引っ込むと、街中に行く機会があまりありません。約束の時間まで、久しぶりに駅前の大型書店とBook・offをはしごして、荷物にならないよう1冊だけ買い、<スタバ読書>で時間を潰そうという魂胆でした。

 川端康成の「山の音」を選んだのは、未読だったから。加えて、騒がしい店で飲む前に、川端の静かに張りつめた文章を読むのは、なんとなく合っているようにも思えました。

 魅力を伝えようとして、どうにも伝えることが難しい作家がいます。わたしにとって川端康成はそんな一人です。以前、このブログで「雪国」について書きましたが、あのときも書き手の感触として消化不良でした。

 改めて言うまでもなく川端は、ノーベル文学賞を受賞した大家。「雪国」「千羽鶴」「伊豆の踊子」などは名作としてつとに知られています。

 「山の音」というタイトルは、一見のどかで、どこか望洋としたイメージ。しかし読み始めると、鎌倉に暮らす一家のむしろ重苦しい日常が、きめ細かに描かれています。山の音は、深夜に響く死の予告。

 山本健吉さんの巻末解説には、川端の最高傑作であるばかりか「戦後の日本文学の最高峰に位する」とあります。

 

 60歳を過ぎて老いと死を意識し始めた男を中心に、妻への複雑な思い、息子の嫁への淡い恋情、その息子は女道楽、そして子連れで出戻った娘。昭和30年代までの日本は、2世代3世代同居の<家>が、社会を構成する最小単位として機能していました。そこでは良くも悪しくも家族が、<家>という絆で結ばれていたのです。

 現代の奇想天外なストーリー展開や過激な表現に慣れきった目には、そんな<家>を中心にした、なんとも地味な作品に見えます。ところが、ページをめくるうち、いつの間にか引き込まれています。

 心の襞を描く巧みさ、あちこちに織り込まれて主人公の、そして読者の心に映し出される鎌倉の四季。最後の1行まで、どこにも破綻のない文章からは、終始、緊張感と気品が漂ってきます。「さすが川端康成」と唸る一方、「ちょっと肩の力を抜けるところも作ってよ」と、わたしのような凡人は思ってみたりもしました。

 飲み会の4、5日後に読了。連作短編を積み重ねて、一つの長編にした小説です。一編を読み終えるごと、心に何かが残って漂い続け、でもその「何か」を具体的な言葉にするのが、とても難しい。例えば「哀しさ」という言葉は安易で漠然とし過ぎていて、何も伝わらない気がします。

 極めて日本的な世界を描いた小説ですが、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語に翻訳され、全米図書館賞受賞、またノルウエーの「史上最高の文学100」に選ばれています。