ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

涙が出るほど哀くて、笑ってしまう 〜「火花」又吉直樹

 お笑い芸への愛情と切なさが、ひしひしと伝わってきました。愛情が深ければ苦悩も深く、文章からは文学への真っ直ぐな思いが漂ってきます。う〜ん、これは心に残る秀作ですね。

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 「火花」(又吉直樹、文藝春秋)を今ごろ読んで、褒め言葉を並べているのだから、自分に舌打ちしたくなります。5年前に芥川賞を受賞し、純文学作品として異例の大ベストセラーになったとき、わたしには「プロのお笑い芸人が、お笑いの世界を書いた小説」というキワモノ的な先入観があって、売れたのもどちらかと言えばお笑い人気のおかげだと思っていました。

 ところが読んで作品の力に驚きました。ストイックで清潔感が漂う文体と描写が印象的。これこそ正統的な文学ーなどど思ったのです。

 もし、携帯電話のようなツールが出てくる部分に目をつむって、「これ60年前に書かれた作品だ」と言われたら、わたしはさほど違和感なく信じてしまいそうです。むしろこう思ったでしょう。「最近の芥川賞はなんかムズカシイ小説が多いけど、昔の方がしっかりと文学的な香りがあっていいな」

  売れない芸人の「僕」と、売れない先輩芸人・神谷さんを中心にした、あえて言えば<青春小説>です。迷い、逡巡して苦しむ僕と、天才肌の破滅型である神谷さんの配置がはまっていて、二人の人物像がくっきり際立ちます。

 どうしたらお客さんに受けるのか、笑ってもらえるか、そして<芸>とは何か。彼らの苦闘は真摯で、切なくて、滑稽で、裸の人間そのもの。

 「せやんな。俺等、そんな器用ちゃうもんな。好きなことやって、面白かったら飯食えて、面白くなかったら淘汰される。それだけのことやろ?」

 これは悟りではなく、成功を夢見ても未来を拓けない人間の開き直りです。一時的であれ開き直って自分を客観視しなければ、もがき続ける現在を支えることができない。

 それほど彼らは、ぎりぎりのところでもがいています。

 本当の地獄というのは、孤独の中ではなく、世間の中にこそある。神谷さんは、それを知らないのだ。僕の眼に世間が映る限り、そこから逃げるわけにはいかない。自分の理想を崩さず、世間の観念とも闘う。

 100年ほど前のパリ。モンパルナスやモンマルトルに各国から多くの若い芸術家たちが集まり、エコール・ド・パリの時代を築きました。やがてごくごく一部を除き、大半は無名のまま消えていきました。モジリアーニのように貧困のどん底で結核に倒れ、死後に認められた画家もいました。

 読みながらふと、そんな歴史の断片と、現代日本のお笑いの世界がオーバーラップしました。あるいは先輩芸人・神谷などは破滅していく昔の文士に見えたり。

 作品の終盤、時を経てお笑いの世界から去った僕。久しぶりに神谷さんから電話が。そして...。エンディングも見事で「作者はタダモノデハナイ」感が尾を引きます。

 

 「純文学は売れなくなった」と言われます。価値観が多様化し、さまざまな娯楽があふれ、誰もがスマホを手放せない。しかし、そんな社会変化だけが売れない理由だろうかと、考えさせられました。

 近年の芥川賞を見る限り、なんだか難しい先端医療技術のような態があって、読み手を選びます。文学の方も人びとから離れていったのではないでしょうか。お笑いのプロによる、極めて純度の高いこの作品は、「赤ひげ先生」のように魅力的な包容力があり、文学の『そもそも』を改めて教えてもらった気分になりました。