ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ぼくは二十歳だった。それがひとの... 〜ポール・二ザン「アデン アラビア」のことなど

 昨夜、麦のお湯割りをちびちびやりながら、武者小路実篤について書きました。小説「愛と死」の読後感を綴ったのですが、投稿を公開してから、やおら立ち上がり、踏み台に乗ってごそごそ。確かこのあたりにあったはず...と、書架の一番上の奥からポール・二ザンの著作集(晶文社)を取り出してきたのです。

 前夜は武者小路が「この道より我を生かす道なし この道を歩く」と毛筆した色紙にふれ、若いころはこのフレーズに漂う、悟り切ったような自己肯定感が嫌いだったと、ひねくれたことを書きました。

 逆に、むかし心を貫かれた言葉について考え、真っ先に思い浮かんだのがポール・二ザンでした。

 

 ポール・ニザンは、フランスの実存主義哲学者、J・P・サルトルの親友で同級生。1940年に若くして戦死した人です。

 ニザンの処女作「アデン アラビア」は、哲学書のような、ルポルタージュのような、激烈な独白の小説です。その書き出し。

 

 ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、だれにも言わせはしない。

 

 十代後半から二十代にかけては、「青春時代」という美しい言葉で飾られます。しかしニザンはその虚飾に噛み付くのです。美しいなんてもんじゃない、人生で一番血反吐を吐く年齢じゃないかー と。その気負いこそ、若さそのものであるにしろ、ニザンでなければ書けなかった文字列です。

 この作品に出会ったとき、わたしはちょうど二十歳前後でした。高田馬場で、まあ毎夜のように仏蘭西文学研究会の仲間と飲み、原稿を書くことで未来を拓きたいと、どっぷりもがき苦しんでいた時代。いま振り返れば懐かしくもあるけれど、だれしも生きている現在進行形のさ中は、甘いものではないですよね。

 武者小路はバカにする一方、二ザンの言葉がわたしに刺さったのは言うまでもありません。ニザンを評してサルトル曰く「若く、激烈な二ザン、激烈な死に打倒された二ザン」。彼らの著作からは、戦中・戦後にかけてのフランスの作家たちの苦悩が漂ってきます。

 わたしの世代にはわたしの時代の、ニザンやサルトル、カミュのころにはあの当時の二十歳があって、いまの二十歳には現在の日本社会があり、どれも変わらず大変なんだろうな。頑張れよニッポンの若者たちーと、心につぶやいてしまうほど、気づけばじじいになってしまいました。

 「アデン アラビア」を引っ張り出して少し拾い読みしたけれど、いまニザンやサルトルを再読するのはとうてい無理。たとえ時間があっても、精神的な体力がありません。若いころだからこその地力は、肉体だけではないと思います。

 ただ、数十年ぶりにページをめくって、ちょっと懐かしかった。