典型的な私立文系人間のわたしが、パソコンに出会ったのは、1990年代前半でした。会社のデザイン部門にマッキントッシュ・コンピューターなるものが導入され、新し物好きのわたしはときどき遊びに行って、いじくっていました。
そのうち、ハマってしまいました。よく分からないけれど、面白い。これは...。
二百数十年前にイギリスで始まり、世界を変えた産業革命に匹敵するような、時代の大変革期に立ち会えるのだという実感を、ビシビシ感じたのです。
文系人間のわたしは、歴史大河ロマンのような物語的わくわく感に弱い。そしていったん面白そうだと思うと、たとえ相手がパソコンであろうと突っ走ります。
自由にできるお金をはたいて、自分のまっくん(マッキントッシュ・コンピューター)を買うまで、さほど時間はかかりませんでした。そのうちインターネットなるものが話題になり始め、わたしもまだ縄文時代レベルだったネットの世界に参入し、自分のホームページを公開したのは確か1995年か96年の秋でした。懐かしい。
HP作成ソフトの力を借り、一部HTMLというプログラム言語を四苦八苦しながら記述して細部のデザインを整え、ホームページを作りました。アップしたコンテンツはまっくんを買って始めたCG(コンピューター・グラフィクス)作品やエッセイなどです。
例えば、こんなやつ。
<夢の消費>
ハード PowerMac8500/G3ボードで強化、ワコム筆圧感知タブレットと筆圧ペン。
ソフト Photoshop
<futari(ふたり)>
使用ハード、ソフトは同じ
1990年代の終わりごろ、うちのまっくんの操作の一部は既に音声認識でした。「open the window」と呼びかけると、ネットサーフィン中(レトロな言葉w)に新しいウインドウが開いて別ページを表示してくれました。「close all windows」なら、すべてのウインドウが一斉に閉じました。
こんなことができたのは、当時のアップルコンピューターが「アップル・スクリプト」という、自分だけのソフトを組むためのパーツをユーザーに供給していたからです。
レゴ・ブロックで遊ぶイメージでしょうか。いろんな色と形のブロックを幾つか、好きなように組み上げて楽しむのと同じです。中に『英語の音声認識機能』というブロック(ピース)があり、これを他のブロックと組んで、パーソナルな操作環境が作れたのです。
でも、重大なネックがあって、英語の発音が悪いと認識してくれなかった!。うちの子どもたち、まっくんが理解してくれるかどうかで発音を競っていたこともありました^^;。
1990年代後半は、マイクロソフトのウインドウズマシンが世界を席捲した時代でもありました。アップルは苦境に陥り、倒産の噂が絶えませんでした。
ある飲み会の席で、証券会社の営業マンのお兄ちゃんと一緒になったことがありました。私が話したのは...
「今、アップルは倒産すると言われているけど、スティーブ・ジョブスが立ち上げたアップルが好きだから、わずかでも株を買い支えたい。100万円くらいなら借金してでも何とかする。きみんところで米国株は注文できるの?」
「もちろん買えます。任せてください!」
何せ酒席のこと。お兄ちゃんは威勢よく請け負いましたが、その後連絡してきませんでした。わたしの方も、彼にわざわざ催促までしなかった。
アップルは現在、言うまでもなくIT関連で世界を支配するガーファ(GAFA)の一角です。あの時、証券会社のお兄ちゃんがもう少し熱心な営業マンで、わたしが借金してでもアップル株を100万円買い付けていたら、今はたぶん億単位の資産になっていました。
あー。
よくある話の一つかもしれませんが、その後のエピソードを二つばかり。
今、わたしはアップル株を保有しています。1株だけ。仮に売れば、18,000円くらいかな。アップルが世界を変えようと挑戦した手法、それはずっと好きなので、後年1株だけ買って自分のものにしたのです。
そして今、このブログはアップルのノートパソコン、macbook airで書いています。