ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

物語が断ち切られたとき 〜「絶望読書」頭木弘樹

 「絶望読書」(頭木弘樹=かしらぎ・ひろき=、河出文庫)とは何とも、意表を突いたタイトルです。何なのだ、これは?。つい手にし、読まねばなるまい、でした。

 簡単に言えば、お勧め本や映画、落語、テレビドラマを紹介したガイドブックです。ただし心底打ちのめされ、絶望したときに、より添ってくれる作品だけを取り上げた。

 人と作品の相性は一対のパズルのようなもので、例えば同じ本がすべての人にぴたりと嵌るわけではありません。だから「私の場合はこれでした」という、頭木さんのおことわりもあります。

 ありそうで、これまでなかったガイドブックではないでしょうか。同時に、絶望とは何か、そのとき人の心はどんな状態にあるのかがあぶり出されてきて、思わず引き込まれました。単なるガイドブックとは異なる、「絶望の科学」であり「絶望を生き抜くガイド」になっています。

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 頭木さん自身の体験をベースにしているので、筆者について書かなければ先に進めません。青春を謳歌していた(陳腐な表現ですいませんw)大学3年生の二十歳のとき、突然激しい下痢、果ては下血に襲われ、病院に担ぎ込まれます。

 診断は、国が難病指定する潰瘍性大腸炎。医師から「治らない病気です。もう大学院に進むのも、就職するのも無理です。一生、親御さんに面倒をみてもらうしかありません」と、宣告されました。

 頭木さんはその体験を「昨日と同じ今日がやってこなかった日」と記しています。それは絶望の日ではなく、絶望が始まった日です。

 本は2部構成で、第一部は<絶望の時をどう過ごすか?>

 わたしたちはいつの間にか「自分の人生はこうだろう」「こうあってほしい」という物語を作り出しています。現実には挫折したり失恋したり、物語の修正を迫られながら日々生きています。

 ところが物語の修正どころか、突然ストーリーの進行を断ち切られ、拒絶され、新たな物語をゼロから作るしかない境遇に落ちたとき、それが「絶望」だと頭木さんは言います。まるで受け入れ難い書き直しを強制された脚本家。

 どうしても書けません。新しい人生は思い描けません。思い描きたくもありません。(中略)このような苦悩の中でのたうち回っているとき、いったい何が助けになるでしょうか?

 自分にとって助けになったもの、それは「絶望の書」だったと頭木さんは書きます。励ましではなく、寄り添ってくれる、共感の言葉を見つけることができた文学作品のことです。この体験は、優れた物語論にもなっていると思います。

 第二部で具体的に作品が紹介してあります。

 太宰治の短編「待つ」、カフカの「変身」や日記、ドストエフスキー、桂米朝の落語、金子みすゞの詩、向田邦子のテレビドラマ「家族熱」...その他。

 さて頭木さん、文学の専門家ではないし、ずっと本を読むのが苦手だったそうです。

               

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