ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

「粋」と「いなせ」 〜「天切り松 闇語り」浅田次郎

 歳はとりたくねえもんだの、くーさん。昔なら三日とかからなかったろうに、最近はのんびりかい。まあ、若え時分と同じにやれってほうが無理な話だがの。

 

 ...と、「天切り松 闇語り」(浅田次郎、集英社)を読み終え、わたしは登場人物の東京弁(いうまでもなく標準語とは別物)を真似て独りごちたのでした。1日に1話か2話を楽しみ、シリーズ5冊読了まで3週間余り。昔は一気読みが得意技でした。人間、若いころは急ぎ、老いて娑婆にいられる残り時間が短くなるほど逆に気長に構えるんだろうか。

 

 天切り松が語る昔話を読みながら、わたしは盗人・松じいさんの心の<芯>について考えていました。<芯>の通った人間の言葉には説得力があります。それはたぶん、作家・浅田次郎さんの芯でもあるだろうから。

 松じいさんと、じいさんによって語られる男や姉御たち。生き様の基本にあるのは、法の正義でもなければ、宗教や社会道徳でもない。まして愛国心とか、今風の自由ではさらさらありません。思い浮かんだのは

 「粋」と「いなせ」。

 簡単に解説すれば、男気があってさっぱりした様を表す江戸前の言葉です。これを表面的に気取るのではなく、心の芯に据えた男や女たち。

 救いがたい人々のこぼす一滴の涙は、いつだって地球と同じ重さなのだ。(その涙に報いるために)こうと決めたら銭勘定も星感情もせず、たったひとりでも世界中を相手にする意地

 ...を貫くことが彼らの侠気(おとこぎ)であり、「粋」で「いなせ」な生き方なのです。

 登場するのは掏摸の名人・目細の安こと安吉親分ほか、説教強盗や天才詐欺師など5人の盗人たち。彼らは侠気を貫くため、ときには国家に泡をふかせ、また戦争で夫を亡くした母子には涙を流し、国に代わって盗人の彼らが償おうとさえします。

 読み切り中編小説の連作で、森鴎外に永井荷風、日露戦争の英雄・東郷平八郎、来日したチャップリンまで登場。大正から昭和の激動期を舞台にして読者を飽きさせず、安吉一家の面々が貫く「粋」と「いなせ」の、何と潔いことか。

 

 浅田次郎さんが自らのルーツにふれたエッセー「ネクタイと江戸前」に、こんな一節があります。

 私の祖父は二の腕に彫り物を入れた博奕打ちで、祖母は深川の鉄火芸者だった。そもそもは武家であったらしいが、明治維新で落魄したあと、孫の代にはそういうことになっていた。

 教養のかけらもない二人ではあったが、身なりはいつもきちんとしており、背筋は凛と伸びていた。そして、思い出すだに胸のすくような、正しい東京弁を使った。

 これ、「天切り松 闇語り」にいかにも出てきそうな人物像です。

 浅田さんの小説やエッセーに、江戸っ子の歴史的な挫折をかすかに感じるのは私だけでしょうか。明治維新で薩長の田舎侍(失礼w)が江戸に乗り込んで東京と名称を改め、国家を牛耳りました。

 浅田さんの小説で、歴史の表舞台で活躍した維新の志士たちが描かれることは滅多にありません。下級武士や庶民はお馴染みだけれど。歴史的評価は別にして、江戸文化から見れば明治維新と以降の社会は「粋」でも「いなせ」でもなかった。

 この挫折または屈折こそ、「そもそもは武家であったらしい」江戸っ子が数代を経て、浅田さんの魅力的な作品群になった...と思ってしまうのです。

 

(「ネクタイと江戸前」は朝日新聞2007年11月26日掲載、文芸春秋社『07年版ベスト・エッセイ集』に収録されています)

                   

 「天切り松 闇語り1 闇の花道」集英社文庫 Amazon