ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

「旨い」と「美味しい」 〜「食卓のつぶやき」その他、池波正太郎

 歴史学者で考古学者の松木武彦さんが、駅弁について書いたエッセーがあります。松木さん曰く。昔、ディーゼル急行の固い座席で割り箸を使った高松駅の駅弁は、どうしてあんなに旨かったのか?。

 言われてみれば確かに、冷えた幕の内弁当がレストランで出てきたら怒るに違いないし、街中の定食屋だったとして感動はないでしょう。高級でも特別でもない駅弁。

 それでも旨いと感じたのは「コンテキスト(脈絡)」の賜物だろう。

 わたしなりに言い換えるなら、旅という文脈の中に置かれることで駅弁は旨くなるのだと思います。個人的には学生時代、故郷と東京を行き来するときによく食べた「横川の釜飯」が懐かしい...。

 シェフが腕を奮ったレストランの料理をいただいて満足するのは、普遍的な<美味しい>。一方、狭い座席で缶ビール飲みながら食う駅弁は、<旨い>の代表選手か。と、以下は勝手に、美味しいと旨いを使い分けます。

 池波正太郎さんの「剣客商売」シリーズを読み倒した余勢を駆って、次にページをめくった池波作品は、食についてのエッセイ集「食卓のつぶやき」(朝日文庫、絶版)と「江戸の味が食べたくなって」(新潮文庫)の2冊でした。

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 おい、次は時代物の名作「鬼平犯科帳」ではなく、そっちかよ!。と、自分でつっこみつつ...。

 池波さんは高級な美味しさを追い求める美食家ではなく、<旨い>を極めた達人だったのだと思いました。

 両親が離婚し、母、祖母と暮らした子供時代。

 母の月給日の夜は、子供ごころに待ちかねたものだ。

 つとめの帰りに、母が肉屋でカツレツを買って来てくれるからだ。

 このカツレツを、私は三分ノ一ほど残しておく。ソースをひたひたにかけて.......。

 そして、

 「これ、明日の朝、食べるんだからね」

 と、念を押しておく。

 翌朝。このソース漬けになった薄いカツレツを熱い飯の上に乗せて食べるときのうまさといったら

                           (「食卓のつぶやき」から)

 今風に言えばこれ、キャベツを省いたソースカツ丼(福井名物)、もしくは味噌カツ(名古屋名物)の元祖ではないか。

 東京の下町からフランスの田舎町まで、四季折々、さまざまな<旨い>が綴られていて飽きません。池波さんの小説に数々出てくる、どこか懐かしい庶民の味は、こうした体験がいくつもベースにあって、その<旨い>を大切にしていたから書けたんだろうなあ。

 

 このエッセーが書かれたのは1980年代前半。日本中が高級な美食をもてはやして酔いしれ、バブルへと向かう時代でした。

 

 **松木武彦さんのエッセーは「脳でも旨い 人文学的知性」。「ベスト・エッセイ2017」日本文藝家協会編に収録されています。