随筆という文学ジャンルの起源は、清少納言の「枕草子」だそうです。国語辞典によれば「自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章」となります。
随想、エッセーとも言い、呼び名にこだわることに意味はない気もしますが、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」(いんえいらいさん・中公文庫)は、あえて<随想>と呼びたくなります。<随筆>ではどこか味気なく、<エッセイ>は軽い。
「陰影礼讃」は、極めて美しい随想です。
昭和8(1933)年発表ですから、90年近い昔に書かれた文章で、社会もすっかり変わっています。でもそこに綴られた日本人の美への思いは少しも古びていません。
日本建築における座敷、化粧や女性の美しさと色気、歌舞伎や能を俎上に、光と影を通した日本人論が語られます。今となってはその視点に特段の目新しさはない気もします。しかし光と影について、今なおこれ以上の文章はないと思うのです。
わたしがこの随想を「美しい」と感じるのは、例えば次のような記述です。
われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、はかない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。
壁とは光を反射するか、ときに遮るものです。ところが、光を「沁み込む」と表現する感性は新鮮で、今の言葉で表すならとてもクール。壁に光を泌み込ませる。
普通に薄暗い座敷を形容しようと試みれば「落ち着いたただずまい」とか「静かに空気が澄んだ風情」などと、通り一遍の言葉しか思いつきませんが、谷崎はうっとりするような分析で光と影の魔法を解き明かし、そして壁にさえも光を沁み込ませると書くのです。
卑近な例ですが、我が家にある和紙のランプシェードなども、電球の直接光を「和らげる」と考えるより、光が和紙に泌み込み滲み出てくる...と思う方が、あの味わいの実感に近い。
もう1例、薄暗い茶席でいただく甘い「ようかん」。
人はあの冷たく滑らかなものを口にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。
闇の魅惑を小さな和菓子に凝縮させ、舌先の味わいに変えてしまう、なんともクールな言葉の魔法を読んでいる気がしました。
日本や日本人について書かれたものは、概ね西欧文明との対比で成り立っていますが、この随想も例外ではありません。
闇に沈むものも明るい光の中に取り出し、徹底的に分析して世界を理解しようとする西欧の合理主義精神。自然科学もそこから発展するわけですが、これに対しての日本的な「陰影礼讃」なのです。
人間の理知を信じ、永遠の真理、変わることのない美を求めてきた西欧社会。対して日本は、永遠ではなく、全ては儚く移りゆくという<無常>に、この世の真理を見い出してきました。そうした心の土壌は、日々の思考から美意識までを支配しています。
思えば現代の日本人は、日本的思考と西欧的思考という二重の価値観に引き裂かれているのかもしれません。いや、「引き裂かれる」などという激烈な状態は、例えば三島由紀夫のような優秀な人たちの場合で、普通の人間は二つの価値観をうまく使い分けて暮らしているわけですが。
そもそも日本人は、古代に仏教が伝来したときも、神道と上手に抱き合わせ、あるいは使い分けてきた民族です。
話がやや脱線しました。中公文庫版の「陰影礼讃」は、表題作を含め随想6編を収録。「恋愛及び色情」「客ぎらい」など、さすが文豪の文章はどれも味があります。