著者・関本剛(せきもと・ごう)さんは2019年の昨年、肺がんと分かった時点で43歳でした。既に脳に深刻な遠隔転移があり、進行度はステージ4。そして関本さんは、神戸市にある緩和ケアクリニックの院長として数多くのがん患者を看取った専門医でもあります。
「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(関本剛、宝島社)を書店で手にした理由は、まさにその現況にありました。緩和ケア医療の専門家、しかもまだ40代前半の医師が、自らも患者になるという過酷な巡り合わせにどう向き合っているのか。
一昨年から昨年にかけて、樹木希林さんの「一切なりゆき」「120の遺言」などがベストセラーになりました。わたしはがんで亡くなった樹木さんの晩年に大きな敬意を持ちますが、死後に刊行されたそれらの本を買おうとは思いませんでした。
結局のところその読書体験は、「当面自分が死ぬことはない」という安全な場所に身を置いて、死者からそれらしき学びを得ようとする、なんとも安直な行いになる気がしたからです。
関本さんの本は、本人自身が死に直面している現在進行形です。むろん本として世に出すからには、一番根底にあるどろどろした迷いや恐れは、生々しさより体裁のいい言葉に整理されているでしょう。
しかし、整理するという行い自体に、究極の<やせ我慢>、言葉を換えるなら仕事を持ち、家族を持ち、社会に生きる人としての<尊厳>を読み取ります。死に直面したノンフィクションの存在感は、そんなところにもあります。
「宣告」「医師の道へ」「死について思うこと」「生きてきたように」「最高の人生に向かって」の5章構成。本編の前に、少々長めの「はじめに」があり、最後には母校の高校生に行った講演の語りが付されています。
自戒していることですが、いつか確実にやって来る自らの死への覚悟が、こうした本を読むことで準備できるとは思いません。死へ向かう時間は人の数だけの多様な様相があります。仮にわたしがステージ4のがんと分かれば、関本さんの体験など関係なく、当たり前ながら自らの現実の中で自分なりに死と語らうしかないのですから。
読後感代わりに、本書で紹介され、わたしも若い頃から心に残っているアルフォンス・デーケン上智大学名誉教授の言葉を引用します。
人間は他の動物とは違って、どんなに肉体が衰えても、死ぬその瞬間まで精神的に成長し続けることができる。
良き死は、逝く者からの最後の贈り物となる
死の病と並走しながら、この言葉にいかに近づくか。若い頃、デーケン教授の講演を心に刻んだ関本さんは、自分なりの実現を目指しています。
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さて、現役医師のがん闘病記は結構あって、古典的なところでは「輝け 我が命の日々よ」(西川喜作、新潮社)などです。一方、患者側の闘病記としてはジャーナリスト・千葉敦子さんの「乳ガンなんかに敗けられない」(文春文庫)や、このブログでも紹介した「百万回の永訣 がん再発日記」(柳原和子、中央公論新社)などがあります。
一方、当事者ではなくノンフィクション作家の仕事であれば、柳田邦男さん「新・がん50人の勇気」(文藝春秋)などが記憶に残ります。
全ての仕事(作品)に共通しているのは、そこで語られるのが死ではなく、生き方の模索であることです。
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追記
関本 剛さん(せきもと・ごう=医師、関本クリニック院長、日本ホスピス在宅ケア研究会理事関本雅子さんの長男)は、2022年4月19日午後3時45分、肺がんによる脳転移のため神戸市内の自宅で死去されました。45歳。神戸市東灘区出身。葬儀・告別式は近親者で行ったとのことです。
ご冥福をお祈りいたします。