ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

美味しいと、言う必要のないご飯が美味しい 〜「おいしいごはんが食べられますように」高瀬隼子

 近年、芥川賞受賞作と聞くと無意識のうちに身構える部分があります。というのも、普通の生活感覚からズレた(いい意味で)斬新な作風が多いから。文学に限らず、芸術は過去にない新しい領域を世界に付け加えようと作者が格闘するものですから、純文学を標榜する芥川賞がどちらかというとシュールで、熱量のある作品を選ぶのは理解できます。

 そうした作品は一部の強い共感を得るけれど、多くの人にとっては、不気味な騒音にしか聴こえない現代音楽(クラシック)のような、難解で重い小説でもあります。受賞者が若い女性といった話題性が先行すれば、ある程度売れはするけれど。

 さて、最新の芥川賞受賞作「おいしいごはんが食べられますように」(高瀬隼子=じゅんこ=、文藝春秋9月特別号、単行本は講談社)です。

 ああ、これはだれでもすらすら読めて、面白いとか嫌いだとか、フツーの人が普通にランチしながら盛り上がれる作品です。密かに心の中に持っている過去の引っ掻き傷やだれかの顔を思い起こしながら。

 稀に、でも結構しばしばいそうな一人の女性の怖さが、普通ではない。

 思わせぶりな書き方になってしまいましたが、髪振り乱し、口の裂けた女性が登場するわけではありません。その正反対です。舞台は、関東のとある地方都市にある中堅企業の支社。狭い世界の人間模様を描いています。

 独身社員の<男1人><女2人>の三角関係と言えるような言えないような構図を軸に、周辺の人物たちが実に生きています。食べ物と、3人のセックスの絡ませ方が効いているし。

 <女2人>のうちの一人は仕事ができ、状況を冷静に見ています。問題はもう一人の方。彼女は30歳に近いけれど、超かわいく、儚げ。中堅と言われて不思議でない立場にいるのですが、仕事がほぼできません。彼女を描き出す作者、高瀬さんの言葉のセレクトが秀逸です。

 正社員なら普通の、でも彼女にとっては困難な業務を命じられたとき、彼女はうろたえるでもなく、困った顔をするわけでもありません。ただ儚げに

 「悲しい」

 顔をします。

 うまい!

 体調が悪いと言って決して残業せず、仕事を肩代わりしてもらったお礼に毎回手製のケーキやお菓子を支社内に配る。そうした存在が、どんな職場環境を作り上げていくか。もちろん支社内の仕事はいつもギリギリで、他の社員は残業に追われています。

 芥川賞選考委員の山田詠美さんは「私を含む全女性が天敵と恐れる<猛禽©︎龍波ユカリ>さん」といい、松浦寿輝さんは彼女のあるさりげない行為に「わたしは背筋がそそけ立つのを感じた。これはほとんど恐怖小説だ」と、選評に記しています。

 <男1人>も彼女のかわいい恐ろしさ(愚かさ、あどけなさ)が身に染みて、惹かれると同時に嫌悪している。しかし。彼はついにどちらの女性に絡め取られるのでしょうか。そして彼は、おいしいごはんを食べ続けることができるのか。そこはお読みください。

 わたしもそれなりに人生経験長いので、「確かにいるよねえ、この手の女性...」と思い、社会とニンゲンの本性について深く考え込んでしまいました^^;

           

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