ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

淡々と語られる孤独 密かにシュール 〜「首里の馬」高山羽根子

 2020年上半期の芥川賞は受賞2作で、どちらを読むか迷って選んだのが「首里の馬」(高山羽根子、新潮社)でした。たまたま高山さんと地縁によるつながりがあるという、深い説得力に欠ける単純明快な理由です^^;。

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 単行本で150ページ余りなので、わりとさらり読み終えました。その勢いでレビューを書こうとすると、うーん。これはなかなか「さらり」とはいかないぞ...。わたしなりに面白かったのですが、一席ぶとうとすると、しっくりくる取っ掛かりが見えにくい。

 沖縄に生まれ育った未名子は、中学生のころから、近所にある私設の郷土資料館に集められた膨大な資料整理を手伝っています。仕事はビルの一室にある事務所で一人、世界各地にいる誰かに、オンラインでクイズを出すという奇妙なもの。ある、台風が過ぎ去った朝、庭に宮古馬が一頭うずくまっていて...。

 と、ストーリーはこうなります。ただし芥川賞系(昔の言い方なら純文学)の作品ではしばしばあることですが、ストーリーを記してもなんら意味をなさない気がして。

 最近の女性芥川賞作家を思い起こせば、今村夏子さん(むらさきのスカートの女)や村田沙耶香さん(コンビニ人間)。作風は違いますが、どちらも自己の外側の世界や内面に向けての異様なまでの視線があって、その熱量が不気味に現実を歪ませて作品の力になっています。

 ところが「首里の馬」は、同じように現実から遊離する<小説という表現の実験>、あるいは冒険なのですが、そこに圧倒してくるような熱量はありません。むしろ淡々として、静かに浮かび上がってくるのは幾つもの孤独です。

 孤独と孤独はかろうじて、ネット回線を行き来するクイズと回答でつながり、突然現れた幻の宮古馬が読む人によっては救いへの道を象徴するのでしょう。

 読後に浮かんだのは、「シュールレアリスム。現代的で、やや控えめな」という印象でした。「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい」という、20世紀前半のシュールレアリズム運動でもてはやされたフレーズがあります。

 沖縄という<解剖台>の上に置かれた郷土資料館、クイズ、宮古馬などのイメージ。それらの出会いに説得力と心のふるえを感じるかどうかは、読み手によって大いに違うと思います。

 ちなみに芥川賞選考委員の平野啓一郎さんは「各要素の結びつきは、理解できるものの、やや苦しい」と選評。一方で川上弘美さんは「一読してマル○」、松浦寿輝さんは「めざましい達成」と極めて肯定的に作品をとらえていました。