ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

推しは<人>になった あたしは? 〜「推し、燃ゆ」宇佐見りん

 もともと、二十歳前後の、しかも女性が書いたアイドル追っかけ小説に、わたしがついていけるはずもない。第164回芥川賞を獲得した「推し、燃ゆ」(宇佐見りん、河出書房新社)です。

 同年代のみなさんのために少し事前解説すれば、「推(お)し」は動詞ではなく名詞で、分かりやすい言葉に言い換えるなら「人気アイドル」。「燃ゆ」は、実際に炎や煙が立ち上る意味ではなく、SNSにおける炎上のことです。

 ディープな追っかけ小説、芸能人オタクの世界を、誰もが分かる言葉で描き出してあって興味深くはあるのですが、それだけなら途中で放り出したと思います。「最後まで読まなくても、もう分かったよ」と。ところが自分と縁もゆかりもない世界の話を、終わりまで読んでしまいました。

 それは男女や世代を問わず、人の根底にある普遍的な切なさや孤独に、しっかり届いている作品だったから。少なくともわたしにとって。

 これを受賞作に選ぶとは、さすがに選考委員はプロだなあ。当たり前か^^;。

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 「あたし」は女子高生。涙ぐましい努力をしても勉強にはついていけず、何をやっても不器用。 精神科医はそんな「あたし」にある病名を与えてくれて、いっときの慰めになったけれど、いっときだけ。リアルな現実は刻々と流れる。

 そんな「あたし」が生きていけるのは、アイドルグループのメンバー<真幸くん>がいるから....

 この基本的な在り方を「アイドルを支えに生きる」と解釈するのは、心と生活に余裕がある普通の人です。「あたし」はそんな普通の人からもたらされるものには、悪意はもちろん、善意であっても隔たりを感じ傷つきます。

 <真幸くん>は支えではなく「あたし」の背骨。自分が自分として存在できるための、たった一つの拠り所です。

 わたしがこの作品にひかれた一つは、文章に書き留める作者の「発語」の切実さです。実際の追っかけ少女はもちろん、誰でも、日々の営みとは言葉になる以前の混沌とした意識の流れが時間の経過を形作ります。そんな言葉以前の意識の流れから、どんな実態を掬い上げて言葉にし、文章に定着するか。

 宇佐美さんは少女の内面を、ベテラン作家のような的確さで文章に積み重ねていきます。文章の背後の余韻に共振できるかどうかで、作品評価は大いに異なると思います。裏を返せば「つまらない」と評価する人もたくさんいるはずで、これはもう一人ひとりの言葉への感性の違い(個性)なので、その立場も理解できます。

 また一方で、これほどまでに自意識をしっかり言葉に構築できる少女が、こんな行動を取るだろうかという疑問も浮かぶのですが、野暮な粗探しかもしれませんw。

 さて、あたしの「推し」は暴力沙汰で炎上し、やがて結婚して引退します。

 

 推しは人になった。

 

 終盤近くにさりげなく出てくるこの一文で、ごく自然に思い浮かべたのは三島由紀夫が「英霊の聲」で繰り返した嘆きでした。

 〈などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし〉(なぜ神である天皇は人間となってしまわれたのか)

 なんだか大袈裟ですいません。でも三島の政治的イデオロギーはこの際抜きにして、背骨を抜かれてしまった人間の、底知れない虚しさがわたしの中で重なったのです。

 「あたし」と三島は、異星人ほども違いはあるけれど、同じ人間。全く違う、でも同じ、存在の孤独。この作品タイトルを大胆に解釈するなら「推し(神は)燃ゆ(死んだ)」。

 ストーリーが魅力の柱になる作品ではありません。でもいちおう、結末については書かないことにします。お行儀のいい予定調和の希望を提示しない終わりも、「推し、燃ゆ」の良さです。

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 しばらく精神的低空飛行が続いて、ネット接続も億劫な日々でしたが、やや回復傾向。もう3月。わたしが住む地も春らしくなってきました^^