18世紀に人口が100万人を超え、世界最大の都市になったのは徳川幕府のお膝元・江戸です。欧州最大の都市、ロンドンでも当時は85万人程度だったとか。
天下を統一した秀吉が、北条氏の所領だった関東八カ国へ移るよう、家康に申し渡したのは16世紀の終わりころ。家康は京、大阪から遠い関東へ、体よく追い払われたのでした。
家康が関東に足を踏み入れたとき、目の前に広がるのは干潟と海、漁師が住むと思しき集落がぽつり。目を転じれば、どこまでも続く茫茫たる萱原でした。「家康、江戸を建てる」(門井慶喜、祥伝社)は、いかにしてその地に街を作り、都市基盤を整備したのかを語る異色の小説です。
全6話の構成。第1話「流れを変える」は、江戸を水浸しにする大河川・利根川の流れを上流で変え、河口を東に移動させた、親から孫まで三代にわたる土木事業の物語です。
第2話「金を延べる」は江戸の小判で貨幣経済を支配するための、秀吉の大判との目に見えない闘争劇。小判を鋳造した金座には現在、日本銀行本店があります。隣接地の銀座は今も地名が残っていますね。
そして都市の住民に欠かせないのは飲み水。ところが海に近い江戸は、井戸を掘っても地域によっては塩辛い水しか湧きません。第3話「飲み水をひく」は、遠い丘陵地から江戸までを水でつなぐ大事業です。江戸城内へはお濠の上に導水管を渡して水を供給しました。現在も水道橋の地名が残ります。
さて、本書とは別に、わたしはかつて仕事で水道事業の歴史について調べたことがありました。
時代劇ではときどき、庶民が暮らす下町の長屋に共同井戸があり、女たちが集まって洗濯しながら噂話に興じるシーンが出てきます。この井戸水、地下から湧いたものではありません。先に書いたように、江戸の地下水は塩味で使えない。
地下に埋設し、はり巡らした木製、または石製の導水管から、街中の井戸という井戸に真水が供給されていたのです。管理費(現代なら水道代)を支払うのは大家の責任でした。もちろん商家や武家屋敷も水道代を納めていました。そのお金で水源地の管理、水道管の補修などが行われていたのです。
こういう江戸という都市の裏側、意外と知られていなのですよね。
話を元へ。第4、5話は「石垣を積む」「天守を起こす」と続きます。全て命じるのは家康ですが、命を受けた家臣の武士と、現場の職人たちが主役。今も昔も、人間の「現場力」というのはすごい。また「現場力」は、上に立つリーダーの資質を厳しく問いかけているとも言えます。
ここで最後にまた話が飛んで、すいませんw。
古地図ライブラリー「嘉永・慶應 江戸切絵図」(人文社)という本があります。1995年に出たとき、なんとなく買ったのでした。「家康、江戸を建てる」を読んで思い出し、改めて眺めると想像が広がって楽しかった。現代で言うところの住宅地図で、地域ごとに詳細に記録してあります。
一軒一軒、個人名がぎっしり。新太郎さんとやら、どんな風貌で、やっぱりうなぎとが好きだったのかなあ...なんて。すでに絶版ですがamazonの古本で複数ヒットします。