ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

写実絵画はなにを語るか 〜画集「増補|磯江毅|写実考」

 高齢者の仲間入りをしたわたしが、趣味で油絵を始めたのは、パンデミックのコロナ禍に世界が震撼した2020年春でした。気づけば5年になります。この間、仕上げた油彩は数枚、鉛筆などの素描(デッサンやクロッキー)20点くらいか。どれも「これ以上続けてもきりがないから筆を置いた」というのが実態です。

 毎日のように描いているのに、自分でもあきれるほど寡作ですが、まあ、そんな楽しみ方もあるだろうと割り切っています。

 絵画は乱暴に言えば、抽象から具象までいろいろな世界があります。年齢を考えると、自分がどんな絵を目指すか、試行錯誤する時間は残されていません。ごく自然に目指したのは具象の、しかも写実でした。

 個人的感性の表現や寓話性を避け、ただ対象を忠実に描く世界。 そもそもわたしの感性なんぞ、どう装飾してもモノにならないのは分かりきっていたから。

 古典を踏まえた現代写実に、人気の画家さんはたくさんいて、どの作品を見てもわたしには憧れです。中でも伝説的な一人に、磯江毅の名前があります。2007年、53歳で病死した画家です。

 「増補|磯江毅|写実考」(美術出版社、2011年)は、磯江の作品を網羅して死後に刊行された画集。絶版なので古本を探し、定価の倍くらいの値段で買ったのですが、ページをめくるほどさまざまに思いが広がりました。これは、手に入れてよかった。

  

 磯江毅(いそえ・つよし)は1954年、大阪府生まれ。高校卒業後の1974年に画家を志してスペインに渡り、30年を現地で過ごしました。マドリード・リアリズムの新進として地位を築き、1991年に日本で開かれた企画展「スペイン美術はいまー」では、スペインの画家の一人、グスタボ・イソエとして紹介されました。

 翌年の「美しすぎる嘘・現代リアリズム展」(三越)には、スペイン作家として参加。日本で知られるようになると、磯江の作品はさまざまな影響を与えました。素人ながら、「増補|磯江毅|写実考」に収めてある作品を見れば、複数の現役写実画家の作品にそれが読み取れます。

 帰国して広島市立大学芸術学部教授(写実の大家・野田弘志の後任)になり、若い画家たちを育て始めてまもなく、磯江は病を得て世を去りました。裸婦や風景も描きましたが、生前に描いた多くは静物です。

 スペインの画家として生きたにもかかわらず、静物を描いてこの背景の余白は日本人の感性だと思います。モチーフが静かに、しかし鮮烈であるほど、なにもない背景の空間が深まる不思議。余白の「無」をいかに生かすかは、伝統的な日本の美学ではないでしょうか。

 遺作は「鰯」。板に鉛筆と水彩で描かれています。

 死を悟り、53歳まで画家として積み上げてきたキャリア、苦悩と喜びの到達点にあるこの静謐が、わたしは心に沁みます。画家としての磯江が、最後に遺した造形言語は、見る人に解釈を委ねた静かな一語のように見えます。

  

 

 ....さて、ここから先は、蛇足です。

 わたしは磯江作品を、生で見たことがありません。2011年に東京都練馬区美術館と奈良県立美術館で磯江の特別展あってから、同様の企画はないようです。日本のどこかの美術館のキュレーターさん、やってくれませんか。少なくとも観客一名は(足腰がまだ大丈夫なうちは)駆けつけます。

 終わりに、蛇足の蛇足。恥ずかしながら現代写実を目指す素人、わたしの最新作を額装しました。「山茶花」。サムホールサイズ、ジェッソ下地に油彩×2の対作品。白の背景に白い花を描くのが、微妙〜に難しかった。ふう。