ホキ美術館の所蔵作品を初めとした現代日本の写実絵画が、なぜこれほど心に語りかけてくるのか。この1年近く、わたしはそのことについて考え続けていて、実は考えること自体を楽しんでもいます。
抽象や半具象ではなく、コテコテの写実にどうして<新しさ>を感じるのか。考え始めると、しまいにはルネッサンス以降の絵画の歴史にまで想像力が勝手に飛び跳ねてしまい。つまり、美術史の大きな流れを踏まえなければ、わたしが感じる<新しさ>を、自分の中で整理できそうにないということです。
整理はまだできていません。あっ、勝手に小難しくて申し訳ありません!。
警察小説に例えるなら、極めて個人的な心の中の<事件>について、脳内署捜査一課が地道に捜査し、かつ解決に到る筋はいくつかほのかに見えるのですが、未だ動機解明に至らずw。
さて「驚異の静物画 ホキ美術館コレクション」(芸術新聞社)は、同美術館の所蔵作品で構成した「驚異の風景画」に続く新刊です。ありがたいのは、作品細部を拡大した写真がたくさんあること。
細部の描き込み具合、タッチは、普通の画集(全体写真)ではほとんど分かりません。それを見るためだけに、実物が展示された美術館に足を運ぶことがしばしがあります。
この本の中では、美術ライターの松井文恵さんが「静物画の魅力」と題して概論を書いているほか、何人かの作家の姿勢や技術についてもコラムで迫っていて、ふむふむと頷きつつ読みました。
暴論ですが、絵とは突き詰めれば目の前のモチーフを、描き手が<通路>になって、いかに作品として定着させるかに尽きます。
A・写実であればモチーフによって作品は人物画だったり、風景画だったり、静物画であったりします。B・写実以外であれば、モチーフは具体的な事物ではなく、女性『美』や『神』『祈り』『戦争』などなど、作家の感性に関わる抽象的な事象であることが多いのでしょう。
AとBは、ときに密接に融合して一つのモチーフとなることも珍しくありません。
これを視点にして絵画の歴史を俯瞰すれば(できる範囲で、ですがww)、大家たちを始めとして、なんとまあたくさんの人間がいかにジタバタし、近代以降は場外乱闘を繰り返してきたことか。
人は感情に揺れます。風景は自然そのものですが、気象条件と時間で千差万別の在り方をします。静物だけが、ただ静かにモチーフとしてそこに在ってくれます。
沈黙して目の前に存在する形と色が、画布に定着されたときに何を語りかけてくるのか。そもそも聴こえてくる言葉は、モチーフが発しているのか、画家が発しているのか。
「驚異の静物画」をめくりながら、思ったのです。静物画に向き合うとは、沈黙に耳を傾けることなのだろうと。またそれが、写実の静物画の魅力なのかな。
(う〜ん。なんだか「高踏的観念小説」みたいな文章になってしまった^^;。反省)