今年も桜の季節がやってきて、3月末からSNSやテレビのニュースに、見事な映像があふれています。日本人は桜が好きですね。もちろん、わたしも。うちの庭にも1本の桜があって、開花を毎年楽しんでいます。
30数年前、地元に陶芸館が建設されたとき、市が周囲にソメイヨシノを植栽しました。たまたま仕事で、建設途中の陶芸館を訪ねたわたしは、打ち捨てられた1本の苗木を見つけました。現場の人に尋ねると、生育が悪い苗木なので使わなかったとのこと。
廃棄するくらいなら...と言ったわたしに
「植栽指定された場所は植え終わった。もらってもらえるなら、むしろ棄てる手間が省けるよ」
こうして、うちに桜が1本やってきたのです。大きくなっても、できるだけ落ち葉などでお隣さんに迷惑をかけない場所を選び、土を掘り、植えて肥料を施しました。
「落ちこぼれ」のソメイヨシノ。
いまや大木になって、今年も満開を迎えました。タイミングを合わせるように、一昨日は意地悪な強風。花は散らなかったけれど、枝先がいくつか折れて花ごと庭に落ちました。
拾って、キッチンにあった海苔の佃煮の空き瓶に入れました。晴れた今日の夕方、花に窓から細く西陽が射し。
ささやかな薄いピンクの笑顔。昔、お前は捨てられるところだったんだぞ。しっかり大きくなってくれて、乱雑な家の中でも折れた枝先が楽しませてくれる。ありがとう。
わたしはこのところ、春になって庭仕事に大忙しです。芝のエアレーション、目土やり、木々の剪定、そして一斉に顔を出してくる雑草との格闘。でも、桜だけでなく、日々葉っぱを広げ始めるバラや山椒、ドウダンツツジなど、わが家の仲間たちを見回すと口元がほころびます。そして
4月に入って「赤毛のアン」(モンゴメリ、新潮文庫)を、読み進め中。え、赤毛のアン?。性別・オスの、しかも高齢者が?....
はい。とある事情があり、理由がなければわたし、一生読まなかった本だと思います。いくつになっても、作品との出会いにはさまざまな背景があるから面白い。
で、アン。なんと想像力豊かな女の子なのか。透明な水に落ちる一滴のインクが、たちまち広がるように、色とりどりの世界が続く。
感受性の豊穣が限りなくうらやましい。でも、アン。それが魅力なのは分かるけど、もしおまえがリアルだったらと考えると...
ちょっとお喋りが過ぎるぞ^^;