8月下旬から9月初旬にかけてのロンドン滞在は、漠然とだけれど、どこか深いところで自分を変えてくれた気がします。たくさんの絵を見たからとか、観光名所を巡ったからではなく、短期間とはいえ日常生活に身を置き、雑多な現実を受け入れて対応した経験が、自分の中で新しい土壌を耕してくれたような。
滞在中の移動手段はもっぱら地下鉄、バス、徒歩でした。地下鉄の古い路線はたいていの車両に落書きがあり、窓ガラスは汚れて曇り、さまざまな肌の色の老若男女が乗り込んできます。ファッションは自由に自己主張しているので、どんな奇抜な格好でも見咎める人はいません。
日本では電車内で私語する人は少ないのに対し、イギリス人は普通に知人同士で話しています。だから満員電車は、けっこうにぎやか。多少盛って表現すれば、繁盛している飲み屋さんみたいになります。
混んでいない場合は、リードを付けた犬が乗り込んできます。躾がしっかりしていて、決して吠えたり暴れたりしません。飼い主は運賃が必要ですが、飼い犬はタダです。
滞在中に2度、席を譲ってもらいました。一人は若い黒人女性で、惚れ惚れするスタイルに大胆に肌を出した服、極彩色の化粧。それが実に似合っていました。思わず見ぶりで「大丈夫だから」と辞退したのですが、彼女はにこやかに「もうすぐ下りるから」と言って譲りません。
二つか三つ目の駅で彼女が下車するとき、わたしが「サンキュー」と手を振ると、彼女は満面の笑みで両手を振って人の流れに消えていきました。また後日、席を譲ってくれたのはビジネスマン風の白人男性でした。
肌の色でいえばイエローのわたしに対し、黒人と白人の若い2人の席の譲り方が、実に自然なのです。目の前にわたしが立つやすっと立ち上がり、声をかけてくれる。ちなみに、日本で席を譲られた経験はありません。
ここで日本のモラルについてなにかを言う意図は全くなし。ただ、多様なルーツを持つ人びとが共生する社会で培われた、そんな共通意識のあり方が新鮮に感じられたのです。他方、ロンドンではスマホを狙ったひったくりが多発していて、歩きスマホは危険といった治安の悪さも現実です。
スーパーや屋台、街の雑貨屋での毎日の買い物、テムズ川沿いでたまたま開かれていた青空古本市、パブの歩道に張り出したテラス席で飲むビール。ささやかな体験がむしろ記憶に残りました。
終わりに、まだ書いていない美術館について、簡略に記しておきます。主に自分用の記録で申し訳ないのですが。
テート・ブリテン (Tate Britain)
ナショナル・ギャラリーが西洋美術全体の美術館であるのに対し、テート・ブリテンは1500年以降のイギリスの作品を所蔵展示しています。イギリス絵画はなんとなく地味なイメージを持っていたので、けっこう驚きがありました。

入館無料で、平日はあまり混んでいません。最初に目を引かれたのがこの絵でした。

「チェルモンドリー ・レディス c 」作者不詳。制作年は1600〜1610年。
400年以上も前に描かれて、文字通り無名の作者だけれど不思議なインパクトがあります。構図と色彩。まっすぐ鑑賞者を見返す2人の女性の目線。もし「売り出し中の若手画家Aの新作です」と言われたら、わたしなど素直に信じてしまいそう。
この美術館で充実しているのは、まずラファエル前派(19世紀後半のパリで印象派の画家たちが活躍し始める少し前、イギリスで起きた芸術運動)。

そして、ターナーの作品群でした。印象派の先駆けとして知られるターナーは、ターナー専用のフロアに多くの作品があり、初期の古典的な写実から移り変わっていった作風の変遷がよく分かりました。
下の写真の絵など、光や空気感の描き方は印象派以前の、印象派そのものではないでしょうか。

テート・モダン (Tate Modern)
テート・ブリテンと同じ国立で、ここは20世紀以降の芸術運動と現代美術を集めています。絵画、インスタレーション、映像作品など多彩です。例えばこんなインスタレーション。それにしても現代美術は、その場にいない人に写真で伝えるのは難しいなあ。

テムズ川沿いなので、美術館を出てぶらぶら散歩。川沿いに食べ物の屋台が並び、たくさんのロンドンっ子たちでにぎわっていました。
コートールド美術館 (Courtauld Gallery)
ロンドンの街のど真ん中にある巨大建築、サマセット・ハウスの一角が美術館です。ここも1500年代以降の絵画、彫刻、工芸品を展示していて、なんと言っても充実しているのは印象派とその後の作品。
マネ、セザンヌ、ルノアール、ドガ、モネなど、彼らの画集にも必ず入っている作品がどっさりでした。モネは睡蓮ばかりが有名ですが、風景画に知らなかった面を見た気がしました。セザンヌは画家としての「もがき」が伝わってくるようでした。


この美術館は、徒歩10分くらいのところに、古い銀行を改装した人気のパブがあります。名前は忘れてしまったけれどいい感じで、観光客らしき人たちでにぎわっていました。
国立肖像画美術館 (National Portrait Gallery)
ここは何世紀も前から現代に至るまでの肖像画が。


夏のロンドンは暑くても気温25度ほど。歴史を感じる街並みを眺めながら、目的地までときに道に迷い、ぶらぶら歩く時間もいいものでした。いま日本の田舎で秋の虫の声を聴きながら、思い出せば懐かしい。
これは、ある日の街並みと昼飯@ロンドン郊外ぶらある記。



