ことばを食する

本たちとの、出会い、すれ違い、言葉との恋愛。つれづれなるまま記していきます

一つの声が届くまでの時間について 〜「ノルウェイの森」村上春樹

 なぜ今ごろこの小説を...と言われそうですが、きっかけは9月11日が「公衆電話の日」だったからです。これに引っかけて、翌12日のある新聞に減り続ける公衆電話の記事が載っていました。1900年(明治33)に、日本で初めての公衆電話が上野駅、新橋駅に設置されたのが9月11日なのだそうです(それって、あのSL広場のSLが現役のころの話だろうか?)。知っていました?。

 もしあなたが「そんなの常識で、付け加えるなら当時は〝自動電話〟と言われていて、自動電話のくせに交換手を呼び出してからお金を入れて、ようやく相手に繋いでもらえたんだ。まあ、知っていることに意味はないけどね」と言ってわたしを見つめ、「やれやれ」とため息したら、わたしは感嘆して思わずあなたに言うかもしれません。

 「ユニークで独創的で、きみの人柄がよくでてる」

 スマホ(電話とメール機能)が既に普及した時代だったら、「ノルウェイの森」(村上春樹、講談社)は成立しません。この小説は「公衆電話」(または共用電話)と、便箋に封筒+速達切手で成り立っています。なにはともあれ、減り続ける公衆電話の記事をきっかけに、4つくらい脳内で発想の玉突きがあった結果、およそ30年ぶりにこの小説を再読することになりました。やれやれ。

 「やあ」と挨拶しながら本を開くと、相変わらずそこには、作者が少し気取ることで気恥ずかしさを隠しながら、とんでもなくストレートに語られる男と女がいました。久しぶりに再読して思ったのは、一つの声が届くまでの時間についてです。

 「公衆電話」という不確かな手段。手紙という、日数のかかる通信形態。わたしと彼女が、つながるまでの時間を埋める、「思う」という営みが、この作品の果実です。そしてしばしば人は、とんでもなく深刻な個人的事情をかかえています。芯にあるのは、やはり在ることの切なさかな。

 「僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見わたしてみた。僕は今どこにいるのだ?。(中略)僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」

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 「ノルウェイの森」の2年前、1985年に村上さんは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を出しています。作品としては「世界の終わりとー」、さらにその系統の作品群の方によりひかれました。ただ「ノルウェイの森」は、村上春樹という作家の幅広い才能の未来をわたしに予感させた作品でした。いま振り返れば、わたしが村上さんを一番熱心に読んだのは、その80年代でした。