ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

レース編みと、一人称小説について 〜雑文

 「今週は絵よりも読書をメーンにしよう!」と思っていたのですが、いやはや、やはりスケッチブックを開いて鉛筆でコツコツやる時間が多くなっています。鉛筆でレース編みを描いてみよう、などと考えたのが(いま思えば大それた考え!)そもそものまちがいでした。

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 どんでもない苦行に自らを追い込んだようなもので、すでに寿命を3日ほど縮めた気がします。首周りの片方のレースはもう、描き込む気力なし....。現代の写実画家さんの作品には、レースの服などが当たり前のように描かれてあって、そそられてしまったのですが、それは苦行に誘う甘いささやきだったのです。でも、プロの凄さを改めて感じることはできました(当たり前じゃ!)。

 前回も書きましたが、中村文則さんの「逃亡者」を、日を置いて読み進めています。そもそもこの作品、速読できる本ではありません。読む側の緻密さを求められて、なかなか進まないという点では、レース編みを描くのと似ているかもw。

 「逃亡者」を読んでいると、いろいろなことに思いが飛びます。例えば一つが<一人称>の面白さ。僕、私といった一人称の視点で書かれた小説の魅力は、主人公の置かれた立場でしか見えない世界の、リアルな生々しさです。

 主人公である<僕>に敵対的な人間・Bがいるとして、Bは<僕>と遭遇する場面にしか出てきません。ホテルの部屋で<僕>が一人原稿を書いているとき、Bはどこにいてどんな策略を巡らし、そもそもBとは何者なのか?。それは<僕>だけではなくて読者にも分かりません。

 なぜなら、視点は<僕>にしかなく、読者に与えられた視点は<僕>なのだから。読者はそんなふうにして、<僕>が触れ合っている世界や感情の揺れと思考の流れを共有します。もし共有できなければ「この小説つまんない!」で、オワリになるだけです。

 もちろん<僕>の視点を未来に置き、「あの時は分からなかったが、実は周囲はこうだった」と過去を記述するスタイルで、この制限をある程度回避することはできます。ただし、話は現在進行形ではなく、今になってみれば分かるという回想形式になります。

 主人公が彼=固有名詞の<三人称小説>なら、彼がホテルにいるとき、(章を変えて)Bはこんな準備をして、汚い部屋で濃いコーヒーを飲んでいた、Bはある組織の一員だが、実は悲しい過去を持っていた。その2人が交錯し...という具合に、客観に立った群像劇を成立させることができます。「神の視点」による記述ですね。

 それぞれの良さと弱点がありますが、<一人称小説>で真っ先に思い浮かぶのは、やはり村上春樹さん(デビューから10数年くらいまでの主な作品)。そして中村さん。二人の作風と方向性は違っても、読者を<僕>の世界に引き込む力はどちらもずば抜けています。

 いま、読者として終盤に差し掛かりつつある「逃亡者」については、読了後に改めて書きます。あれ、確か前回の稿でも、同じこと書いたような....。

 あと一つ「レース編みを描くことはもう金輪際しない!」と決めた、素人の絵描き(気取り)のわたしなのでした。