ことばを食する

本たちとの、出会い、すれ違い、言葉との恋愛。つれづれなるまま記していきます

ロマンとリアルの対峙 〜「三島由紀夫と司馬遼太郎」松本健一

 特定の作家を取り上げ、批評して1冊にすると、自ずから読者をかなり限定してしまいます。「三島由紀夫と司馬遼太郎」(松本健一、新潮選書)で言うなら、三島や司馬の読者でない人がこの本を開こうとするだろうか...と考え、しかしまた、はたと自分の考えを恥じることになります。「本が売れるかどうか」。収支計算とマーケティング戦略が、いつに間にか自分にこびりついていることに気づくからです。

 真逆の立場にあり、交わることのなかった三島と司馬が、どちらも同じように嘆き、ただそうとした「空虚な大国・日本」は、まさにわたしのような、経済至上主義の発想に縛られた輩で溢れてしまった国でしょう。

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 さて「三島由紀夫と司馬遼太郎」は、2人の読者でなくても楽しめる1冊だと思います。批評というジャンルは、取り上げる作家をダシにして、結局は批評家が自分を表現するわけですから、ダシについてよく知らなくてもそれなりに読めます。むしろ、ダシにされた作家のことまで分かった気になれる、お得感さえあるかも.....です。

 美しいものを見ようと思ったら目をつぶれ

 これが「ロマン主義的な精神」だと、松本さんは述べます。三島への言及です。「えっ」と思う人が、いるかもしれません。なにしろ三島は「仮面の告白」を始め、冷徹な認識を積み上げる作家。その結果、ときに登場人物が血の通わない人形のような印象を与えてしまいます。

 しかし松本さんの指摘は正鵠を射ています。一番根本において三島は、リアルな現実より自分にとっての美意識を優先します。まさに美しいものを見ようと思ったら目をつぶれです。

 目を閉じて、リアルから乖離した「世界観」の上に、目を開けて、明晰すぎるほど冷徹な認識の「世界」を構築して、若い僧は金閣寺に火を放ち、少年たちは母の愛人を殺します。また戦後の日本を否定するとき、根本にはリアルではなく、天皇制という彼の美意識によるシステムが配置されます。

 対して司馬は、リアリスト。司馬の代表作である「坂の上の雲」は、日露戦争までの近代日本の成長を描いた大作ですが、そこに出てこないのは明治天皇の存在です。描かれるのは「人びと」。当時生きた人たちのモチベーションを分析すれば、無視できないはずの天皇というキーワードが消されています。

 三島と、対極にあるリアリスト・司馬。この設定で、松本さんの批評の試みは、もう半ば成功していたという感じですね。

 具体的な記述は小難しいので、苦手な人はスルーして何の問題もない1冊^^;。加えて、三島や司馬が生きていた時代と違い、現代日本はもう「経済大国」だと胸を張る状況でなく、国際関係も遙かに複雑。現在にも通じる視点ではありますが、戦後から平成の始めくらいまでの、思想史の1断面を描いた批評とも言えます。

 

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