私小説作家、西村賢太さんが亡くなりました。私は決して、西村さんの熱心な読者ではなかったので、タイトルに<追悼>と冠するのはおこがましいのですが、以前から現代の文学シーンにおいて特異な存在感を発する作家だという実感があり、突然の死は驚きでした。
記事は、タクシー乗車中に体調不良を訴えて意識を失い、病院で亡くなったと伝えています。
54歳。
突然の死。心のどこかで、西村さんらしいと思ってしまいました。寿命を全うし、多くの人に看取られ、惜しまれながらというのは似合わない。少なくとも「私小説作家、西村賢太」は、そういう存在ではありませんでした。
私小説という、半ば時代遅れの形式。西村さんは「私小説にこだわった」わけではなく、「私小説しかなかった」のだと思います。生々しく、愚かで、美しさのかけらもない自分を吐き出すことで、自己を相対化してくれる唯一の手段が私小説でした。
だからこそ、口当たりのいい小説ばかりが溢れる中で、西村さんの作品は無視できない雰囲気をまとっていたのでした。
ちょうど1年前の2月3日、わたしは西村さんの芥川賞受賞作「苦役列車」のレビューを書きました。昨日、ブログのアクセスが異常に多いことに気づき、解析ツールで調べると、グーグルなどの検索エンジン経由で「苦役列車」のレビューにアクセスが集中していたのです。「もしや」と思い、ニュースサイトを覗いて知りました。
昨日ほどではありませんが、今日もアクセスがそれなりに続いています。西村賢太という私小説作家の、存在感の表れでしょう。
合掌。