バラ、薔薇。華やかな花の代表格でしょうか。結婚式場だけでなく、小説、詩などさまざまな文学作品にも登場します。
「薔薇刑」という三島由紀夫の裸体を被写体にした、細江英公の写真集もありました。鍛え抜かれた男の筋肉。カメラを睨む三島の眼。
三島の、あまりにも三島すぎる肉体が迫ってくる1冊です。青年期、ヒョロ長い青瓢箪だった三島は、どうして肉体改造をして、全身を筋肉(という仮面)で覆わなければならなかったのか。そして最後は自衛隊本部に乱入し、自ら日本刀で、硬く割れた腹筋を内臓深く届くまで貫いて果てました。
ともに乱入し、介錯して三島の首を落としたのが、早稲田の学生だった森田必勝。自爆テロ。現代の常識に照らせば、一種のカルト集団ですね。
ただしこの教祖はノーベル賞候補の文学者、そして自分や取り巻きの行動を、隠すことなく、むしろ赤裸々に発信し続けました。小説「憂国」は、「薔薇刑」も含めた人間・三島の到達点の作品だったと思います。
それが、小説家・三島の到達点であったかどうかは別として。小説家としての到達点がどの作品かは、うーむ、難しすぎる...。
<三島由紀夫>は、わたしにとってなんとも形容し難い存在でした。20代のころのわたしは、三島と決して相容れないのに、抗いがたく惹かれてしまった。2年半かけて新潮社の35巻全集を読み倒し、作家論を漁り、人間・三島の精神の軌跡を見極めようとしました。
いま思えば、相容れないからこそ、見極めて乗り越えたかったのですね。若かったなあ、自分。
さて、書きたかったのは華やかな薔薇や三島ではなく、田舎暮らしのうちの庭に咲いた1輪のバラ。
清楚、可憐。三島的世界とは遠い小さなバラです。
品種名は不明。何しろ売れ残りの処分品、確か1鉢100円くらいで店頭に放り出されていたミニバラなので。買って花壇(くーの墓)に植えました。エリートとは程遠い、雑兵のような株。
この色と姿、最近のお気に入りなのです。