ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

甘く、苦い、この国の青春記 〜「坂の上の雲」司馬遼太郎

 8冊の文庫本「坂の上の雲」1〜8(司馬遼太郎、文春文庫)を目の前に置いて、途方に暮れています。この大作について、短い文章で何を綴ればいいのか。前回の稿で池井戸潤さんにかんして、「読めばとにかく元気をもらえる」と書きました。ふと、自分が元気をもらった本って、ほかに何があっただろうかと考え、真っ先に浮かんだのが「坂の上の雲」でした。

 歴史の大転換点に突入した明治という、未熟でユニークな時代を、たゆたう大河のような筆致で描いた近代日本の青春記。苦い、甘いをない交ぜにして、「若さ」はだれにとってもインパクトがある時期。若者3人の成熟を通して、近代化の過程を冷徹に記述した小説です。

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 群像劇なので、一人だけの主人公はいません。四国、松山生まれの3人の若者が、作品を通しての縦糸になります。陸、海軍の軍人になる秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)と、正岡子規。明治を描いて薩長、土佐の政治家でなく、官軍に敗れた松山藩の3人であることが、時代を見る客観と冷静を担保しています。

 これだけの大作になると、要約を述べて意味があると思えません。強いて書くなら、明治維新から日露戦争・バルチック艦隊撃破までの苦難と上り坂の日本の歴史。貧乏でなかなか学校に行けず、「あしも学問がしたい」と願った賊軍側の旧下級藩士の子どもが、やがて軍の中核として(賊軍藩の出だからトップになれない)国を支え、文学の世界で子規は死後に巨星となります。

 個人の成長が時代の青春でもあったという希有な期間が、明治だったのでしょう。もちろん、人であろうと国であろうと青春には光と影があり、時代の流れに取り残された人間ドラマも同じ数だけあったはずです。でも影の方は「坂の上の雲」ではなく、浅田次郎さんの「一刀斎夢録」(上下、文春文庫)や幾つかの短編の語りに耳を傾けましょう。

 司馬遼太郎さんは新聞記者でした。「坂の上の雲」に限らず、司馬作品の語り口に接するたびに、小説家という「記者」を思い浮かべます。「私」という主人公・一人称の主観世界はなく、徹底して登場人物をその時々の舞台に置いた、三人称の世界です。骨太で、個を超えた大きな作品。まあペンネームを思えば、「史記」の司馬遷にルーツがあるわけですから納得なのですが。

 それにしても司馬さんはこれを書くために、いったいどれだけの史料を読み込み、とこまでが小説家の想像力なのか。気が遠くなります。

 日本海海戦が作品の大団円です。劇的な勝利が、やがて第二次大戦に至る日本の歴史につながるわけですから、人というものの勇気と英知、そして愚かさを思わずにはいられません。ゆっくり読み直したいけれど、う〜ん、1カ月くらい必要かなあ。夜はたいてい飲みながら(酔拳ではなく、酔読)だから、焼酎もけっこう消費することになりそう。