ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

大英博物館で広重に出会う 〜ロンドンぶらある記④

 浮世絵で一番好きな作品を問われたら、幾つか思い浮かんで困ってしまうけれど、その「幾つか」の中に確実に入るのが広重の「蒲原」です。正確には、東海道五十三次之内十六「蒲原 夜之雪」(かんばら よるのゆき)。

 

 風のない夜、しんしんと降り積もる雪。遠くの音も近くの音も、冷たく柔らかい銀世界に吸収され尽くし、雪を踏む足元の鈍い響きと、自分の呼吸音だけが耳に届きます。雪あかりで景色は鮮明でも、これほどの静寂は他にありません。

 わたしは雪の多い田舎に暮らすので、子どものころから抵抗なく絵の中に入っていけました。子どものころから、と書いたのは、この絵を初めて見たのが小学生のときだったから。記念切手の図柄になっていたのです。あのころたくさんいた、切手収集少年の端くれだったわたし。

 その記念切手はわたしにとって、うっとりするほど美しい、小さな1枚でした。本物の絵と、まさかロンドンの大英博物館で対面することになるとは。

 大英博物館は平日といえど、10時の開館を前に長蛇の列がうねくっていました。手荷物チェックを終え、円形ホールに入ると巨大な内観を見回しました。さて、なにから見ればいいんだ?。まずはロゼッタ・ストーンか?。展示室への入口はどこ?....と、そのとき企画展の大きな垂れ幕が目に入りました。

 <Hiroshige artist of the open road>

 ヒ・ロ・シ・ゲ...って、そう、あの広重でした。歌川広重(1797ー1858)江戸の浮世絵師。そんな特別展のさなかなら、常設展示は後回しに決定。「ロンドンまで来て広重か?」という心中の問いは、即座に自ら論破しました。「浮世絵をアートとして認知したのは西洋だ。そのボスのような大英博物館が広重展をやって不思議はない。そもそも大英博物館の主役は、エジプトやギリシャをはじめとしたイギリス以外の各国なのだ」

 迷わず企画展チケット(4000円くらいだったか記憶曖昧。常設展は無料)を購入。会場に入れば、幾つかのコーナーに分けた圧巻の作品群でした。写真は撮り放題。会場は混んでいて、国際的な広重人気がうかがえました。

 

 

 

 


 保存状態がいいので褪色が少なく、各作品の色の鮮明さに驚きました。「東海道五十三次」「名所江戸百景」などの諸作品、刷りの異なる同一作の比較、肉筆画やスケッチの数々、版木。さらに広重に影響を受けた画家たちのコーナーがありました。

 大胆な構図でゴッホに影響を与えた「亀戸梅屋舗」は、初刷(左端)と刷りの異なる3点。次にゴッホの模写と方眼紙を使ったスケッチの2点。ゴッホ、漢字まで一生懸命書いていて、なんだか微笑ましいです。この写真は図録から複写しました。

   

 

 今回の特別展示は、博物館の収蔵品に加えて、米国の蒐集家が長年集めた作品の貸し出しを受けて実現したそうです。これまで、世界でほとんど公開されたことのない広重作品もあるとか。

 いるんですよね、こういう蒐集家の人が。アップルの共同創業者、故スティーブ・ジョブスは川瀬巴水の著名な蒐集家だったし。会期は9月7日までなので、残念ながら今からイギリスに行っても間に合いません。

 最後に常設展の方は、ロゼッタ・ストーンを始め世界遺産級の歴史的文化財が、「これでもか!」と言うほど並んでいます。圧倒されつつ、途中からわたしは妙に腹立たしくなってきました。これらは本来、それぞれの母国にあるべきではないのか。昔、世界に覇を唱えた大英帝国が、力でかき集めてきた文化遺産....と、妙に心に引っ掛かりを覚えて消えなかったのです。

 そう感じたのは、広重展で疲れた後に見たからか。それともわたしは天邪鬼なのでしょうか?