ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

聖アンナの微笑みに魅せられ 〜ロンドンぶらある記⑤

 正面に古代ギリシャを模したコリント式円柱の列。ロンドンのナショナル・ギャラリーは、トラファルガー広場を前庭のように持つ、古典主義の壮大な建築です。

 大英博物館が世界の文化財の殿堂なら、こちらはパリのルーブル美術館に迫る絵画の宝庫。13世紀以降の西洋絵画の名作群が、無料開放されています。館内は撮影自由、気に入った作品に顔を近づけ、巨匠たちの細かい筆のタッチも観察できます。

 「ついに来たかあー」と、トラファルガー広場の人混みと大道芸を眺めながら思いました。

 ところが、広場に面した正面入口(旅行ガイドによると)は出口専用になっていて、入場はどこから?。うろうろすること1、2分、本館と通路でつながった隣接のセインズベリー館が入場口のようで、開館20分前には長い列ができていました。

 後から調べると、改修工事で入口が変わったようです。入場無料だけれど、ネット予約した方がいいようなので来場時間を予約してました。列が進み、スマホの予約画面を出して身構えていたのに、確認されることなくすんなり館内へ。え。手荷物検査もされないし、いいの?。

 この日を含めて4回、わたしはナショナル・ギャラリーに通い、判明したこと。よほどの混雑がない限り、予約者の列に並んでも予約確認されません。もともと入場無料だしね。また、列ができる開館前よりお昼以降が、待つことなくぶらりと入れます。わたしが知る限り平日なら。

 付け加えると、ここのトイレの清潔さはロンドン屈指。一度出たけれど、トイレを借りるために引き返して再入場したこともありました。ウオシュレットはないけれど、そもそもロンドンでは一度もウオシュレットのあるトイレに出合えませんでした。

 

 ナショナル・ギャラリーで見たい絵、死ぬまでに本物の前に立ちたいと思う絵が、わたしには何点かありました。トップはこの人の、この作品です。

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチの素描、または下絵(カルトン)です。描かれたのは今から500年以上も昔の1499ー1500年ごろ。カルトンとは原寸大の下絵ですが、これを転写した油彩作品は存在せず、転写に使った痕跡もありません。カルトンのまま、油彩として完成させることなく放置されたのです。

 縦141.5、横104.6センチもあり、前に立つとかなりの大きさで迫ってきました。8枚の紙をつないで画面にし、木炭と白チョークで描き、灰色の淡彩が加えられているかもしれません。

 ギャラリーの解説には「当館でも特に貴重で壊れやすい作品」とあり、隠し部屋のような狭い(10人も入るといっぱいになりそうな)一室の、薄暗い中にこの1点だけが展示してありました。照明の暗さは「木炭とチュークを褪色から守ため必要な措置」。

 結果的に、なんとも敬虔で神秘的な空間になっているのです。

 入り口が見落とされやすいせいか、この部屋に入ってくる人は多くありません。しかも絵の正面には、3人掛けほどのベンチが壁を背に設えてあって、腰掛けて満足するまで見続けることができます。素晴らしい!

 描かれているのは幼いキリストを抱く聖母マリア、右横から見つめるマリアの母・聖アンナ、右下の幼児は洗礼者ヨハネ。まず惹かれたのは、キリストの「おばあちゃん」である聖アンナの表情でした。

 

 レオナルドは「モナリザの微笑み」があまりにも有名。ほかにも何点か微笑む女性を描きましたが、個人的には木炭で描いた下絵に過ぎないこの聖アンナが、もっとも心に刺さります。

 キリスト教にとって、清らかでなければならない聖アンナ。しかしレオナルドは、彼女の微笑みに人間的な妖艶さを漂わせました。見るほどに、老いているようにも、まだ年若いようにも見えます。同時に、やがて訪れる未来の悲劇を悟った悲しさが滲み出て....。って、勝手な思い入れなんですけど。

 幼いころ生母と生き別れたレオナルドは、生涯を通じて「マザコン」だったという説があります。理想の母親像を思い描き、その理想像に対してのマザコン。独身を貫き、子どもも設けませんでした。そうした精神のバックグラウンドが、彼の描く女性像に常に反映されている気がします。

 つい見逃すのですが、このカルトンには描き込んでない部分が何か所もあります。聖アンナの頭頂から後ろにかけての髪、天を指す左手、マリアの右手、2人の足。

 

 

 これらの部分はなぜ、描かれることがなかったのか。画家としてのどんな精神的な葛藤、もしくは現実的な理由で、カルトンは未完に終わったのか。

 天を刺す左手部分、絵画的構図としては斜め右上に向かう線があれば、作品全体が安定しそうです。むしろない方がいいくらい。しかし宗教上の決まりとして天を指し示す以上、腕はまっすぐ上に向けるしかありません。その矛盾にぶつかり、左手はスケッチレベルの輪郭で終わった?

 また聖アンナの脚にマリアが腰掛け、さらにキリストを抱いている構図そのものが、現実であればかなり無理のある姿勢です。不自然も優美な自然に変容させてしまう天才を持ってしても、構図ゆえに細部が数か所で行き詰まったのか?。いや、彼ならそんなことはないだろう。そもそもこの構図が、絵の妖しい魅力にもなっているし。

 全体が醸し出す存在感がすでに圧倒的で、下絵としてこれ以上描き込む必要を感じなかったーという苦しい解釈も可能です。でも、完璧を求めるレオナルドの人物像からは想像しにくいかな。

 考え始めるときりがありません。いろんなところから、さまざまな空想や推論が湧き上がり、次の推論を引き寄せて迷走しました。結局のところ1枚の油彩としての完成作を得るまで、レオナルドといえど、下絵段階からいかに苦労したかを物語っているのかもしれません。

 まあ下絵からして、凄すぎるんですけどね。最後はどうでもよくなって、また、ただ見つめてしまいました。

 こうしてわたしは、ナショナルギャラリーに4回通い、そのうち3回はこの絵の小部屋に寄って、かなりの時間を過ごすことになったのです。

 

 小部屋を出た裏側(というかそこが表側)は通常の展示空間が広がり、レオナルドの「巌窟の聖母」があります。こちらは、いつも結構なにぎわいでした。

 

 同じ主題、ほぼ同じ構図の絵を2枚描いていて、別バージョンの「岩窟の聖母」はパリのルーブル美術館にあります。ずいぶん古い記憶と比較すれば、ルーブルの作品の方がちょっと印象深いかな。

 

 レオナルドだけで、かなりの文字数を費やしてしまいました。別の画家は次回以降にします。

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(補遺)

 カルトンは「聖母子と聖アンナと幼い洗礼者聖ヨハネ」(登場人物の羅列ww)、または「バーリントン・ハウス・カルトン」と呼ばれています。 

 美術館の図録によると、このカルトンを描いた数年後、レオナルドはフランス王ルイ12世の依頼で、この構図を手直しした作品に着手しました。それは油彩にまで進みましたが、レオナルドの死で未完に終わりました。未完の油彩作品「聖アンナと聖母子」は、ルーブル美術館が所蔵しています。マリアの左肩から下半身の衣装の襞など、まだほとんど描き込まれていません。

 全体構図は聖母マリアがアンナの脚に腰掛けている点は同じでも、アンナの顔を頂点に安定した三角形に変わり、幼いヨハネは羊になっています。美しい作品だけれど、聖アンナの妖艶さは消えてお上品になり(モナリザの微笑に近い)、漂ってくる人物間の濃密な雰囲気に関しては、ロンドンのカルトンが勝っているような..