「これは面白い○○だなー」
読みながら何度も心の中でつぶやき、つぶやきながらもどかしかったのは、「○○」に当てはめるべき言葉が見つからないことでした。評論、随筆、エッセー?。どれもぴったりきません。小説を取り上げているけれど書評とは言えないし。
仕方なく、途中から「これは面白い本だなー」と逃げていました。この本に影響された言い方で、もどかしさを表すなら<文章形態を分類する日本語には、どうやら不備がありそうです>。
「小説の言葉尻をとらえてみた」(飯間浩明、光文社新書)は、ブログの知人、ともこさんに教えていただきました。著者の飯間さんは国語辞典編集者で「三省堂国語辞典」編集委員。テレビでもお馴染みの言葉のプロですね。
現代小説に出てくるさり気ない言葉を抜群の言語センサーでキャッチし、iPadを駆使して過去の文学作品における使用例、ツイッターなどネット上での使用頻度を調べ上げて分析します。なぜ、作家はこの言葉遣いを選んだのか、その言葉の背後にはどんな歴史や地域性が潜んでいるのか。
こう書くと、固くて難しい本のようです。とんでもない。後述しますが、本の構成が秀逸で、分析する飯間さんの感性にも親しみが持て、するする読み進めました。
取り上げてあるのは15人の15作品。朝井リョウ、三浦しをん、小野不由美、池井戸潤、石田衣良、宮部みゆき、吉田修一、小川洋子、平野啓一郎、伏見つかさ、角田光代、有川浩、伊坂幸太郎、町田康、恩田陸のそうそうたるメンバーです。(2、3人挙げて端折るつもりが、恐れ多くて全員の名前、書いてしまいましたw)
飯間さんは読者兼言葉の採集者として物語の中に入り込み、重要なシーンに同席する設定です。登場人物たちはときに飯野さんを認識しますが、「読者」ということで無視しています。
例を挙げます。平野さんの「マチネの終わりに」に入り込んだときはこんな具合ー。
天才ギタリスト・蒔野聡史、国際ジャーナリスト・小峰洋子、蒔野のマネージャー・三谷早苗らがスペイン料理店でコンサートの打ち上げをしています。
この内輪の会に、まったく関係ない私も同席し、タパス(小皿料理)をパクついています。国語辞典のための用例を採集するという目的は、半ば忘れています。
と、その時、私の耳が、三谷早苗の特徴的な話し方を捉えました。
「洋子さんって、え、じゃあ、何カ国語喋れるんですか?」
私(飯間さん)の感覚に引っかかったのは「洋子さんって、え、じゃあ...」の語法。これは物語世界の住人の話し方ではなく、現実に生きている人の話し方だと言います。
飯間さんによれば、整った会話文では「え」という感動詞は文の途中に出てきません。「洋子さんって、え、じゃあ...」ではなく、「え、じゃあ、洋子さんって...」の順になります。
ところが活字の世界を離れて現実の会話に注意して耳を傾けてみると、途中に感動詞「え」を割り込ませる話し方が癖になっている人は、割といます。そしてこのシーン、三谷はさらに「割り込み感動詞」を連発します。
物語の作者・平野啓一郎さんは、鋭い観察力でこの語法に気づき、人物造形に反映しました。蒔野や洋子と違う「普通の人」である三谷の様子が、「割り込み感動詞」によって効果的に表現されています。
なるほど、言葉の専門家はこうした部分に注目し、分析するとこうなるのか...と、読みながらおいしいビスケットを齧ったときの顔になってしまう、わたし(くー)だったのです。
作品によっては言葉尻をとらえるだけでなく、ストーリーの面白さをちらつかせ、しかしネタバレは避けて読みたい気分にさせるという、心憎い裏技まで使ってあります。
さて冒頭、この本は評論なのか随筆なのかと<?>を投げかけたのですが、筆者自身が作品の中に入り込んで行動し、考え、時には主人公と会話までするのですから、構造上は「フィクション」なのです。
このブログに設けた作品分類では、小説でも詩でもない「ノンフィクション」にするしかないのですが、まあ面白ければ些事はどうでもいいか。
→ 「小説の言葉尻をとらえてみた」絶版 Amazonなどに古本出品あり