ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ハードボイルドへのオマージュ 〜「ピットフォール」堂場瞬一

 舞台は1959年、60年あまり過去のニューヨーク。戦後の繁栄を誇る大都会には、根強い人種差別や、不用意に踏み込めば身に危険が及ぶエリアがあちこちにあります。都会の表と裏を渡り歩いて殺人鬼を追う主人公・ジョーは、元ニューヨーク市警の刑事で、独り者の探偵です。

 登場するのはさまざまな人種、ルーツを持つアメリカ人。かろうじて日本的な要素があるとすれば、日系の刑事が脇役としていい味を出している部分くらいです。

 ハードボイルド小説のど真ん中直球、というか昔懐かしいくらいの<王道>です。ただし、書いたのはアメリカ人作家ではありません。「ピットフォール・PITFALL」(堂場瞬一、講談社文庫)は、そんな作品です。

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 途中、読みながら思いました。なぜ日本人の堂場さんが、アメリカ人しか出てこない小説を書かなくてはならなかったのか...。ところが話の展開が面白いものだから、そんなことはすぐにどうでもよくなって、一気読みの勢いでページをめくりながら....

 はたと気づいたのです。

 これはあの時代、あの大都会への作者のオマージュなのだ、と。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」に代表される、ハードボイルド作家たちへのリスペクトを込めた作品。そして堂場さんが、楽しみながらこれを書いたと伝わってくるような味わいでした。

 「妹を探してほしい」。カンザスからきた若い女性の依頼を、ジョーは受けます。女優になろうとニューヨークに出てきた妹は、ジョーが調査に入るとまもなく死体で発見されます。前後して、ジョーの友人である黒人の探偵が、惨殺されて川に浮かび。

 どちらも、いまニューヨークを恐怖に陥れている連続殺人鬼と同じ手口の犯行ー。こんな幕開けです。

 ジョーはストレートでバーボンをあおり、ラッキーストライク(煙草です^^)を吸って心を鎮め、ステーキやサンドイッチにこだわり...といった具合で、1950年代の空気感が満載です。といってもわたし、そのころのニューヨークは実際に知るはずもないのですが。

 よくできたエンターティンメント映画を見るようなテイスト。安定の堂場作品です。

 堂場さんの小説はすでにいくつか取り上げていて、今さら過去に書いた作家観に付け加えることもなく、新作を読んだからといってブログに書くかどうか迷っていました。書こうと決めたのは、たまたま次に読んだのが(というか、今読んでいる途中なのが)カズオ・イシグロさんの「浮世の画家」だからです。

 日本のエンターティンメント作家と、イギリスのノーベル文学賞受賞者。作品に、なんらつながりはありません。でも

 カズオ・イシグロさんは幼くして英国に移住し、母国語は英語。「浮世の画家」は当然、英語で書かれた初期作品ですが、舞台も登場人物も1948ー49年の戦後の日本。英語で書かれた<日本の小説>と、堂場さんの日本語で書かれた<アメリカの小説>を並べてみたとき、妙に面白くて。

 一人の人間の中における国、文化...と考え始め、勝手に思考が転がり出すのです。まあ、そんな小難しいことを書き募るつもりはありません。そもそもわたしの力量では、及ぶはずのないテーマです。できればどこかの大学の比較文学のせんせい、スカッとするような文章、お願いします!

 「浮世の画家」については後日、読み終えてから改めて書くことにします。