最近<リーダビリティ readability>という言葉を知りました。「先へ先へと読ませる力」という意味でしょうか。あの作家はリーダビリティが高い、といった使い方をするようです。
いい小説の条件を考えるなら、結局は「面白いか否か」というシンプルな出発点に尽きると思っています。夜が更けるのも忘れて読み耽った子供のころの思い出を、どれだけ追体験させてくれるか。自分にとってリーダビリティの高さは、面白さの分かりやすい指標です。
「久遠」(堂場瞬一、中公文庫上下)は、鳴沢了という若い刑事を主人公にしたシリーズ全10作の完結編。第一作以来、常に犯罪に立ち向かい、犯人を追い詰めてきた若い刑事・鳴沢が、いきなり殺人の容疑者として同僚から追われる展開で幕が開きます。
ストーリーの広がり、脇役たちの立ち上がるキャラクター。相変わらず、リーダビリティが高いなあ。
私は小説の酸いも甘いも(?)齢相応に経験した<擦れた読者>なので、無意識のうちに意地悪な読み方をしています。細部の描写の確かさに始まり、「アメリカの中国マフィアを絡ませちゃって、これどう収束させるの」とか「このくだりは布石で、結果はあれかな」など。
こんな読み方をして、読み進むうちに展開が予想通りだったりすると、むしろ面白さが薄れていく小説もあるのですが、鳴沢シリーズに関しては先に行くほど面白くなります。
「久遠」では、過去のシリーズで登場したおなじみのヒロインや刑事OBも登場して、味のある役割を担います。さて、深い闇に突き落とされ、容疑者になった刑事の逆襲はいかに。彼はどれほど傷ついても決して立ち止まりません。
警察小説の面白さとは何かと考え、思い浮かんだのが<カタルシス>。
小説の中では主人公がどれほど苦境に喘ぎ、五里霧中でも、右往左往しながらしかし確実に前に進んでいきます。そして明確な結末を迎える。
ところが私たちの現実は、大半の出来事が中途半端なままいつまでも続くか、結末とも言えないような終息か、忘れるか。だから警察小説の明確な結末に(説得力があれば)、言いようのない面白さ=カタルシス=を覚えるのだと思います。
刑事・鳴沢了シリーズは2004年から08年にかけて刊行され、今年になって新装版が出ました。10数年前の小説ですが、少しも古びていません。