ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

心に滲みる『奇跡』 〜「桜風堂ものがたり」村山早紀

 「癒し」という言葉がよく使われるようになったのは、いつごろからでしょうか。裏を返せば、人びとが癒しを求めるほど、この社会が住みにくくなり始めたのはどの時点だったのだろう。

 読む人によって受け止め方は違うにしても、「桜風堂ものがたり」(村山早紀、PHP研究所)は、やはり豊かな癒しの物語だと思います。芥川賞タイプの小説ではありません。タイトルにあるように、読んで、何度も深い呼吸ができる「ものがたり」です。

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 世の中にうまく自分の居場所が見つけ出せない、他者とつながるのが怖い、繊細で善良な人びとが出てきます。子供時代の不幸な過去を持つ、主人公の青年もそんな一人。文庫担当の書店員として店内では一目置かれていますが、同僚と交わるより本と話す方が好きな孤独な青年です。

 そんな彼が、店で起きた万引き事件をきっかけにネット上で叩かれ、唯一の居場所だった書店を去ることになります。子供時代に続いて、また大切な居場所を失ってしまった青年。

 もうすでにないもの、失われた大切なもののことを訊ねるということは、誰かを詰問するということだ。なぜいまの自分はそれを持っていないのかと、誰かを責めるということだ。それならもういい、と一整は思った。今更誰を傷つけても、あの場所は失われ、一整にはもうそこに戻ることはできないのだ。

 村山さんは児童文学者ですから、小説を書いても筆致はていねいな語りかけのようで、すっと心に入ってきます。作品ではTwitterやブログなどネットのつながりも重要な役割を果たしますが、そんな現代社会を昔ながらの純真な心で生きる人たちが交錯して描き出され、どこか深いところでほっとする温かさが広がります。

 失意の主人公が向かったのは、寂れた町に一店だけ残る小さな書店・桜風堂。そこで起きる小さな本の奇跡...。

 物語はその『奇跡』で終幕になりますが、主人公の彼にはまだ描かれない、その後の長い人生があるはずです。そもそも作中にこんな記述があります。

 桜風堂がある寂れた町について

 「ここは旅の終点ではなく、旅人が旅の途中に立ち寄るための場所でした」

 読み終えて、いつかその町に行ってみたい、そして桜風堂を訪ねてみたいと思いました。その時は書架にどんな本が並び、台には何が平積みしてあるのか、ゆっくり見てみたい。

 1冊選んで買おうとしたとき、対応してくれるのは、さて誰なのでしょうか。主人公か、彼の妻か(彼は作品の最後まで一人者ですが、2人の女性が心を寄せていて、これがまたやや心に滲みる状況なのです)。いや、旅の途中にある、全く別の青年かもしれません。

 

 そんな想像が広がってしまうのは、物語の「力」ですね。