ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

神様の7行 〜「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」谷川俊太郎

 1970年代後半、田舎から東京に出てきた私は、五反田から高田馬場まで山手線を使って大学に通っていました。本を買うのはもっぱら早稲田の古本屋街、珍しく余裕があって新刊を買うのは、馬場のロータリーに面したビル3Fにある芳林堂書店でした。ごく稀に、五反田駅近くの書店に入ったこともありました。

 神様に出会ったのは、五反田の書店の方でした。特に衝撃的でもなく、神様は立ち読みする私の胸の中に、すうっと入ってきました。冒頭のたった7行。劇的でも、詩的でもなく、ただその7行は、出会ったというより私の中に入ってきただけでした。そして心の隅に、静かに居座り続けたのです。

 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」(谷川俊太郎、青土社)という薄い本を買って、下宿に帰りました。神様は、本編が始まる前にある「芝生」と題された7行です。 

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芝生

 

そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

 

 人、というものが素裸でここに立っています。

 始まりが「そして」という接続詞。つまり、作品が始まる前に何があるのか。私という人間が生まれる前から延々と続いてきた世界の存在、あるいは、私という個人のなかに眠る人類誕生からの「集合的無意識」。読後に余韻を残すのは普通ですが、作品の前方にまで広がりを獲得してしまう、簡単なひと言。

 以降の言葉は、谷川さんが書いたと言うより、「そして」で開いた通路から、神様が谷川さんを通って紙の上の言葉になった7行だと思います。最後の1行。

 幸せについて語りさえしたのだ

 人としてあることのすべての思い、悲しみを、私はこのたった1行に読み取ります。

 文章にしなければどうしようもないので、あえてここまで書いてきましたが、実は詩を読むとき、いちいちこんな事を考えたりしません。詩を読むことは、私の中では音楽を聴くことに近い行いです。好きな旋律やピアノの響きに心を開くとき、その楽しさを言葉にしようなんて思わないのと同じです。不思議なのは、言葉にしようと思わないのに、詩は言葉の芸術だということです。

 さて、谷川さんは大岡信、茨木のり子さんらと同じ「櫂」の同人。21歳で「二十億光年の孤独」を出した早熟の詩人です。その後ずっと、戦後を代表する抒情詩のトップランナーでした。魅力的な作品はたくさんありますが、どれも一流の詩人という「人」の仕事です。ここで紹介した7行を除いて。

 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」はたぶん絶版で、作品は「新選谷川俊太郎詩集」(思潮社)その他で読むことができます。

 

追記(2019.9.8) 「芝生」草稿

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 「芝生」の草稿をみれば、最初は4行だったことが分かります。完成形の7行までは、すぐだったのでしょう。

 あるイベントで谷川さんは、読者から「すっと書けた詩はありますか」と問われ、即座に「芝生」だと答え、その場で朗読したことがありました。