ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

ああこんな夜 また酔ってゐる 〜「続・吉原幸子詩集」など

 梅雨入りし、蒸し暑い日が続きます。

 最近処方された薬の副作用に、「眠気」があります。そのせいなのか、寝る前に飲むと深く眠れて朝寝坊になりました。本来の効能より、そちらに感謝したいくらい。

 そして明け方によく夢を見ます。幸いにも、いい夢であることが多い。幸せな夢を見たときは、目覚めてしまうのが悔しい。窓から朝陽が射す布団の中で、半覚醒の自分のバランスをもう一度、眠りの海底に沈めたいと願います。

 結局は、流木かごみのように、現実という砂浜に打ち上げられてしまうんですけど。やがて「もうこんな時間か」と、わたしは経年劣化が進んだ上体を起こします。

 よっこらしょ。う、腰が...

 

 目覚めて しばらくは

 夢の出口を手でふさいでいる

 夢は 魚のようにはねてゐる

 

 吉原幸子さんの詩集「夢 あるゐは...」に収録された詩、「死に方について」の冒頭3行です。そう、腰は痛くても寝起きはまだ、夢の記憶がみずみずしく濡れている。いくら夢の出口を手で塞いでも、すぐに真夏の水たまりより早く蒸発してしまうけれど。

 

 吉原幸子作品との最初の出会いを、わたしはもう思い出せません。1970年代後半の高校か、大学生のころ。愛と死、裏切り、そして人の孤独をうたい続けた女性です。吉原さんは、詩を「書く」ではなく、「うたう」と表すのがしっくりします。

 ああ

 感嘆詞。嗚呼。古くからある日本語で、強い感情表出に付随します。この言葉を現代詩人が使うことは、あまりないと思います。手垢が付きすぎて、安易には使えないから。下手すると即、作品を冷笑されるか、無視されるか。

 「ああ、愛しい人」とか、「ああ、我が故郷」とか、「ああ〜 時に流れのように」とか、こんな素朴な言葉遣いを、詩の最先端で使えたのは明治か大正までではないでしょうか。大衆歌謡などは別にして。

 ところが、吉原幸子さんは、昭和の戦後詩に「ああ」をよみがえらせました。

 

 ああ、こんな夜、立ってゐるのね、木。

               (詩集「幼年連祷」所収「無題 ナンセンス」より。1958年)

 人の孤独と、嵐の中の木が「ああ」で重なります。愛に、仕事に、裏切られた自分も立っているしかないのだと。

 「ああ」につながるイメージが、意表をつきます。夜。木。愛とか故郷とか、べたつく感傷を洗い流した名詞を、旧字体でつなげています。こんな夜とは、どんな夜なのか。読み手それぞれの、孤独な夜の記憶が立ち現れてきませんか?

 何気ないことですが、吉原さんは「ああ」だけでなく、手垢にまみれたいくつもの言葉を作品の中で再定義していて、わたしにはそれが魅力の一つです。

 

 飲みながら、思潮社の「続・吉原幸子詩集」を拾い読みするうちに何か書きたくなり、気ままに記した一文です。この本、2021年2月に第2刷が出た折り、吉原さんのご子息からいただきました。ずいぶん遅ればせながら、ありがとうございました。

 ご子息は今も、facebookで母の情報を発信していらっしゃいます。

 

 最後にもう一つ、「ああ」の詩を。

 

 ああ 血 ぴすとる ないふ

 わたしの持てないたくさんの凶器

 (中略)

 つきたてたい 世界に すべてに

 つきたてることによって加はりたい

 吸い込まれたい とどかないすべてに

 つきたてることによって殺されたい

 

               

以下はwikiから。 

吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 - 2002年11月28日)は、日本詩人東大仏文科卒。劇団四季で主役を演じたがすぐに退団。詩作に転じ、第一詩集『幼年連祷』(1964年)で室生犀星詩人賞、『オンディーヌ』(1972年)と『昼顔』(1973年)で高見順賞受賞。さめた感性で愛をうたう。「歴程」同人。