ことばを食する

くーの、極めて私的な読書覚え書き。誰かにお薦めできると思った本を取り上げます

古池や とは そもそも 〜松尾芭蕉、安東次男

 昨年からしばしば俳句を拾い読みしています。実はそれほど興味はないし、熱心に読んだこともなかったのですが、身構えずに3行の<短詩>と割り切れば、そこそこ楽しめます。どうしてまた俳句なんぞを?と問われれば、野暮な必要に迫られてなのですが。そこはボヤいても詮ないので割愛します。

 しかし俳句について書こうとしたとたんに「詮ない」とか「割愛」とか、いきなり言葉遣いが古くなるから、われながら不思議です。

 

<芭蕉の3句>

 さて、高校の授業レベルからほとんど前進していないわたしにとって、俳句と言えば芭蕉、それも「奥の細道」が真っ先に思い浮かびます。改めて読んでも

 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

 閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声

 などは、感じるものがあります。

 夏の日差しの下に静かに広がる草原に、叫びやうめきに満ちたいにしえの戦の映像が重なり、「夢の跡」の結句が見事に受けて無常感がしみてきます......などと、素人講釈をぶったりするのに格好の句だし。

 蝉がガンガン鳴いているのに、どうして「閑かさや」なんだ?と、一読・突っ込みたくなりますが、どこか惹かれて。やがて、ああ、なるほど、蝉の声が響き渡るほど、反対に静まり返っていくのは自分の心の中なのか.....。心象とリアルの、なんと見事な融合!、などと感受したり。 

 どちらの句も素人受けするというか、分かりやすいからすぐに<いいね!>をクリックしたくなります。

 ところが、はたと立ち止まり、<いいね!>を迷うのが一番有名な、あれなのです。

 古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音

 先を急ぐなら、超有名句はとりあえず<いいね!>3回クリックしておけば大きなケガはないのですが、しかし立ち止まってしまうと。侘び、寂び、不易流行、近年になれば写生などという考え方も、極めて浅くではありますが知っています。

 そんなフィルター付きで味わうことはできますが、しかし言うまでもなく、理屈や解釈の後に作品があるのではなく、まず作品があって心に何か残り、理屈は作品の後に付いてくる付録・解釈の一形態です。

 この 古池や は、未熟なわたしにとって理屈を抜きに寄り添うことができないのです。一歩譲って、静かな悟りはあっても熱い感動がない。それは本当に優れた芸術作品と言えるのか?

 わたしが芭蕉だったとしたら、夏草や とか 閑かさや の句ができた日は、うれしくてうれしくて夜まで何度も口ずさみ、なかなか眠れないかもしれません。反対に 古池や を詠んだ日は、さてあとは軽く飲んで寝るとするか、みたいな悟りの境地。ちょっとくらいは内心、ニンマリはしたでしょうが。

 古池や の価値を否定するつもりはありませんが、この句は芸術というより、仏教にルーツを持つ哲学、あるいは思想にジャンル分けすべきではないでしょうか。素人の暴論かなあ......

 

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 <安東次男 そもそものー>

 あー、前置きのはずの芭蕉が想定外に長くなってしまった!。そもそも、書きたかったのは次の1句についてなのです。

 そもそもの はじめは紺の 絣(かすり)かな

 安東次男句集「裏山」から。 これも一読、うん?。芭蕉に例えるなら、夏草よりも、古池よりの印象でした。一読シンプルそのもに見えるのは古池に通じますが、しかし無常感や哲学臭は感じません。

 間をおいて、わたしには自然に、一昔前の恋のイメージが浮かびました。様々な出来事を経て破局を迎えた恋を振り返ったとき、目の前に現れる、彼女が最初に着ていた紺の絣の着物。鮮やかな色合いと手触りが、くっきりイメージされたのです。

 これは個人的な「読み」であって、この句は読む人ごとの自由な「読み」に対して開かれています。そもそものはじめ とは、そもそも何のはじめなのか。大岡信さんは故郷への思い、望郷をまず読み取ったりしています。とすると、人生のはじめでもよく。

 しかもこの句、○○に言葉を入れ替えて、自由に応用がききます。

 そもそもの はじめは○○○ ○○○かな

 例えば

 そもそもの はじめは白い 八重歯かな  亡き妻の三回忌に出会いしときの笑顔を思い出し...

 とか注釈を付ければ、お涙頂戴になりそう。もちろんフィクションです。かみさんにばれたら大変なことになるw

 『真面目』なベクトルに再シフトすれば、○○にどんな言葉を入れるかで、その人の本質の一端がさらけ出されるはずです。本質が大袈裟だとしたら、資質の一面が。そのあたり、俳句という言葉の表現の怖いところですね。

 安東次男は、現代詩を代表する詩人の一人にして、フランス文学の翻訳家。かつ芭蕉や百人一首について書き、俳人でもありました。2002年没。残念ながら著作はほぼ絶版で、古本でしか手に入りません。訳書の1冊、エリュアールの「愛すなわち詩」については、このブログでも紹介しています。

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