愛
ノートの一頁目は白紙。
ここにきみはいない。
一色真理さんという、詩人がいます。わたしは最初、真理を<まり>と呼んで女性だと思っていました。詩集「夢の燃えがら」(花神社、1982年)をむかし読んだ時、冒頭から数篇、詩の雰囲気からして女性で違和感はありませんでした。
途中で「ん?」となり、本の奥付をみると、真理は<まこと>とふりがながあり、「あとがきにかえて」を読んで、団塊の世代の男性だと分かったのでした。
2月も半ばを過ぎて、わたしの住む地は再び雪に閉ざされてしまい、今も外は吹雪。暖かい焼酎を舐めながら、ふと書架からひっぱり出したのが、大昔に読んだこの1冊でした。
「やあ、久しぶり」という気軽な再会があるから、わたしはなかなか本を処分できません。
さて、冒頭に引用したのは「愛」という詩の最初の2行です。
ノートの二頁目....と続く以降を、自分ならどう展開して書くか。あれこれ想像をして、つい時間が過ぎるのを忘れたりします。
そんな読み手のわがまま(傲慢?)も、ときには詩の楽しみの一つだと思います。個人的にはエリュアールの詩集「愛すなわち詩」(安東次男訳)なんかも、同じ楽しみがあるかな。
つい1句ひねりたくなる、言葉の触媒にもなりえる作品、というもの。1句ではなく、この場合は1詩ですけど。さて二頁目以降はどうしようかなあ...。
もちろん、「愛」というこの詩は、詩人本人によって8行で最後の頁まで描いてあり、でもその8行はプロローグで、さらに長い散文詩が続き、作品として完成します。
例えば小説は300ページを費やして愛を描きます。一方、この詩集で彫刻される愛は7ページ。質は異なっても、同じほどの深みを持つのが詩の魅力です。
小説の書き出しは重要ですが、短い表現形式である詩の書き出しはもっと大切。
セーター
あの人の脱ぎ棄てていったセーターが、棄てられたままのかたちで
床に倒れています
(以下略)
セーターが擬人化されて、「あの人」の不在が生々しく浮かびます。そして「あの人とは」。突然、生死にかかわる病気になって病院に運ばれたのか。それとも「さよなら」の言葉もなく去った恋人なのか。読む人それぞれ、どんな想像を広げるのでしょう。
もう一つだけ、違う詩の冒頭を。
いいにおい
赤い自転車に乗ったきみと
はじめてすれちがったとき
きみのあとからほんの少しおくれて
いいにおいの風が通り過ぎていった。
とたんにぼくは
きみが好きになった
(以下略)
たったこれだけで、一色さんの魅力を伝えられたかどうか不明ですが、雪の心配をしながら古い本との再会を楽しめました。わたし的には、それで十分かな。
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一色真理 愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校、早稲田大学第一文学部露文専修卒業。鮎川信夫に私淑し、第30回H氏賞を受賞。日本現代詩人会会員。日本文芸家協会会員。月刊詩誌「詩と思想」編集長を経て、若い詩人のためのモノクローム・プロジェクト代表。 詩人としての活動の他、1994年から12年間、インターネット上に開設された共同夢日記「夢の解放区」を主宰する。現在も自らのブログ「ころころ夢日記」で日々の夢を描き続ける。(wikiより)