「いい体してるよね」莉菜が言うと「ありがとうございます」と返ってくる。この女の良さは肌を出しても感情を露出させないことだ。(中略)「ないふり」は難しいものの「あるふり」が出来るのが感情だろう。余裕のない人間は、どこかで見たような言葉と表情で日常をやっつける。
北海道のさびれゆく街・釧路の裏社会を牛耳る女、莉菜。撮影で北の地にやってきたグラビア・アイドルを、ホテルの部屋に呼んでからの場面です。
グラビア・アイドルのシズカは、莉菜に対しても淡々としています。この前段、マネージャーが「大事な商品ですので、どうかお手柔らかに」と、何度も頭を下げているのがなんとも面白い。
ーー脱いで。
彼女はためらいなくベッドから立ち上がり、着ているものすべてを脱ぐ。その姿は潔く、仕事に徹した人間の静かさがあった。
ハードボイルドだなあ。「ないふり」と「あるふり」にからめ、切れ味よく人の本性も切り開いてみせて、心にくい。と、わたしは思う。
「ハードボイルドとは何か」については種々解釈がありますが、個人的には、乾いた文体で読み手の心を湿らせる作品。そこいらの男の作家が書いたハードボイルド小説よりも、「ブルース Red」(桜木紫乃、文藝春秋)はよほどハードボイルドだと思う。
通常のハードボイルド小説は男の視点ですが、これは徹底した莉菜の女目線。作中に「男と違って、女のワルにはできないことがない」というせりふがあります。冷酷ではなく、冷酷に<なれる>資質。この<なれる>部分から、人の心の真実をつかみ出すところが、桜木さんの魅力なのです。
「なんだか人形みたいに綺麗だね」
「人形みたいにしていると、怒られます」
「どうして」
「ご奉仕の仕事が多いんです」
いちおう付け加えておきますが、裏社会に君臨する莉菜はレズビアンではありません。自分を生かすために死んだ一人の男(義父)を死んだ後も愛し続け、義父が他の女に産ませた男の子を可愛がり、やがて彼が表社会の権力を握るまで密かに支え続ける冷酷でか弱い女です。
ちなみにこのグラビア・アイドル、生き別れた兄を探して、見つけてもらうために脱いでメディアに登場したのですが、この後......。ネタバレになるので詳細はやめます。とにかくそのまま釧路に暮らすことになり、最後までいい味を出します。
莉菜を主人公にした10の短編連作で、その間に流れる歳月は20年以上か。描き出される人間模様が、なんとも生々しい。
そして陰の主人公は、莉菜が決して忘れることができない亡き義父。いったいどんな男だったのかは、本作「ブルース Red」の前に「ブルース」(文藝春秋、2014年)があるのでそちらをお読みください。
桜木さんは家族や夫婦の日常を書いてもいい味がにじみますが、本当に光るのはワルや場末の人間を描いた時です。わたしにとっては、文庫になるのが待てない数少ない作家です。